小さな書店での運命的な出会い──002冊目『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』村上春樹/新潮社/1985年

こんにちは、Marloweです。

少し気を抜くと投稿を怠ってしまいます。これじゃいけないということで、今回は気合いを入れて本のご紹介。今回ご紹介するのは『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』です。村上春樹著です。

これまでたくさんの本を読んできましたMarloweですが、この本との出会いから全てが始まったと言っても過言ではありません。

人生において、人やモノなどと「特別な出会い」をすることが何度かあると思います。私の場合、モノに限って言えば、実家近くの駅前の小さな書店で出会ったこの本が「特別な出会い」に相当します。それは入り口の間口が狭く、奥に長く続く細長い書店で、立ち読みする人々のあいだを縫うように歩かねばならない狭い書店でした(いまはもう別の店に変わってしまった)。雑誌と漫画と小説類がほとんど同じ割合でスペースを占めているような、あまり豊富な品ぞろえではない類の書店でした。

それは高校2年の1月のこと。おそらく下校途中ですが、なんとなく本でも買おうと本屋に寄ったのだと思います。特段、どの本を買おうかと思っていたわけではない。しかし、何かに出会いたい、そんな心持ちで。

店の一番奥の文庫の棚へ行き、著者名をさーっと眺め、「誰にしようか」と思案していたのでしょう。そして新潮文庫のまとまりのところで、一際長くその著者の名前の本が並んでいました。それが村上春樹です。

それまで本をほとんど読んでこなかった高校2年の私にとっては「村上春樹って誰だろう」という感じ。顔も全く思い浮かばないその名前でしたが、どうやらたくさん本を書かれているようで、ジャンル的には、歴史小説とか私小説とか、そういうものでもないのかなあと。なんとなく手に取ると、あまり行間が空いていない、しっかりとした文量のある小説が多いのかなあと。

特に「これだ!」と思ったわけではありませんが、手にとったのはそのタイトルに惹かれて手にとったのは微かに覚えています。少し長いですが、文庫版の裏表紙のセンテンスを。

高い壁に囲まれ、外界との接触がまるでない街で、そこに住む一角獣たちの頭骨から夢を読んで暮らす<僕>の物語、[世界の終り]。老科学者により意識の核に或る思考回路を組み込まれた<私>が、その回路に隠された秘密を巡って活躍する[ハードボイルド・ワンダーランド]。静寂な幻想世界と波乱万丈の冒険活劇の二つの物語が同時進行して織りなす、村上春樹の不思議の国。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド村上春樹/新潮文庫/裏表紙

なんだかよくわからないけどすごそうかもしれない。そう思って読んで見れば、それはもう雷に打たれたような衝撃で。

そんなにライトな小説ではなく、わりとしっかりとした文量がある作品です。それがいかほどの賞か理解できないけど谷崎潤一郎賞を受賞したとのこと。

話のあらすじなどは全く語りません。とにかく私はこの本をくぐり抜けて劇的に頭がやられてしまい、村上春樹の小説は狂ったように読み漁りました。全て2〜3回は読んだかなあ。

なにがそんなに彼の本へ読者を引き寄せるかというと、色々解答はあるかと思いますが、その結末のわかりにくさと、しかしそれでいて「何か大切なものがある」と思わせる絶妙のポイントへ、読者をぐいぐいと誘うところではないでしょうか。教訓めいたことをシンプルに与えることは決してなく、かといって何もわからないところへ読者を放り投げたりもしない、微妙なバランス感覚。

あとは言わずもがな、名文であることも魅力でしょう。「小説は文体が全て」という作家もいるほどそれは大切なものですが、私の語彙力や思考、表現の仕方に大いに影響を与えてくれたのが村上春樹の文体です。

私の拙い言葉で説明するのはナンセンスなのでとにかく読んでください。読むときは毎日少しずつ、それでいて1週間以内に1冊を読み上げてください、これがMarlowe的鉄則です。