2024年6月の振り返り

こんばんは。

梅雨が下旬に始まって、6月が先に終わった。ここ2、3ヶ月の投稿では自分の変化について書いてきて、その延長線上にあった今月。少ない写真の枚数と反比例して濃密な6月だった。

体調を数回崩した以外にはネガティブな要素が見当たらない。先月同様、当月が終ることを惜しんだ。いざ振り返ってみて浮かぶ内容が明るく、これまで停滞感を基調としてきたブログ自体の色合いも変わりそうである。

さてどのように書けば良いのか。文体がまだ落ち着かない。

2024年6月は濱口竜介の『偶然と想像』で始まった。

40分程度の短編が3本。この短編映画と出会ったことも偶然だったし、そこで観たもの聴いた台詞にやたらと感銘を受けたのも偶然。もうすっかり全てが偶然の上にある気がしてくる。

あまり作品の中身に触れるのは憚られるけど、一つだけ感じたことを記す。

偶然とはどんな性質のものか、と。

鑑賞前、偶然という言葉に持っていたイメージは、ふと空から降ってくるような、そんな受動的なイメージだった。でも、鑑賞後、抱くイメージは一新される。

当然、3つの短編それぞれに偶然が散らばっている。が、今作における偶然は、そのほとんどが能動の先にあった。偶然は普段と異なる動き、アクションの先にこそある、ような。

だから何、というわけではない。

とりあえず今月のヘビロテだった1曲を記しておけば後で読む自分にはわかる。

ご覧、ほらねわざと逢えたんだ
季節を使い捨て生きていこう
夜も秋も盗めないよ 貴方は私の一生もの

つくづく天才的な歌詞。

雨に濡れてもなお、という一昔前のPVが梅雨の今とリンクしたり。

シンプルな言葉──というのが今月の隠れテーマだった気がする。

上旬。

梅雨前の初夏の終盤に贅沢な休日を過ごした。

京都駅前なのに車も人も少なくてまるでパラレルワールド。

昨年も6月に哲学の道を訪れていた。

同じ時期、同じ場所、異なる状況。

中旬以降は写真が撮れていない。それとて、思い出がないわけではない。写真を撮る間もなく出来事に没頭していた。

思い出の合間に、病院に世話になることが多かった。それと梅雨も相まって、あまり走れていない。禁酒は続いていて、もうすっかり飲みたいと思わず。体重も理想的なエリアに来ている。総合すると、ポジティブな6月。

7月は何とか写真を撮りたいところ。なぜなら、フィルムカメラを導入したから。

6月に数枚撮ってそれっきりなので、7月中に36枚撮りのフィルムを撮り切って現像する。

高校時代にトイカメラを触っていた振りか。

ここ数年、頭先行で生きて、身体をついて行かせる、そして感じるというスタイルだったように思うけど、これから少し変わるような気がしている。

それではまた。