見果てぬ青

 

こんばんは。

のっけから海の写真。今回はとてつもなく青臭い投稿になる予感がしていますが、とにかく書いてみましょう。ここは、福井県大飯郡高浜町にある城山公園にほど近い浜辺。来たのは3度目。前回は約14年前、20歳のとき。1度目はロケハン、2度目は撮影、そして3度目が今回。

大学の時に映画を撮っていた。

この海は、自分が撮った映画の撮影現場の一つ。合計13日間の撮影をした一番の長編作で、シーンとしてはクライマックスシーンにあたる。海とは、またべたな。

このタイミングで訪れた理由は、映画サークルで出会って今も付き合いが続く友人が付き合えと言ったから。不意の提案だけど仕事の調整ができないこともなく、そして天気予報も100%快晴という様相。

最近のふわっとした感じとか、まとまらない内面とか──それらを風や海の音を聴きながらのんびり整理するのも悪くないなと思い、結局は二つ返事。

渡りに船。

街並みは少し、というか結構変わっていたように思う。でも、海まで来たら当時と雰囲気は変わらず。海沿いの家並みも変わっていないように感じて。

「あぁ、この辺で撮ってた」と互いに合点して砂浜を歩き始め、交わす言葉はそれ以上なく。他人のように離れて歩き、写真を撮ったり、ぼーっとしたり。

(ここまで書いて、本編とメイキングを観ずにはいられず。)  

 

ということで、一人上映会。

 

ふざけたキャッチコピーだし、本編を観ても吹き出すような箇所が多く、コメディかってくらい笑い倒したけど(なんと幸せな奴)一応、体裁はロードムービー。恥ずかしいけど過去は過去、今は今ということで。

上映会は至極好評で、一般客が「もう一度観に来ました」と連日来てくれて写真撮影を求められもして。数あるうちの青春のハイライトの一つ。

で、それはともかく今回の再訪で感じたこと、とは。

 

まずは、こういう特別な場所があるって、とても幸せなことではないかと。

シンプルな結論その1。

 

別の角度から感じたこと。記憶を遡ってみた。

1度目の訪問はロケハン(ロケーションハンティング)。海のシーンだから、当然対岸が見えてはいけない(福井県は入江が多くて、弓状になってるから対岸が見えがち)。また、波が穏やかでないと俳優の声が上手く集音できない(アフレコは役者の演技が活きないから極力しない派)──などなど、直接自分の目で現場を見ないとわからなくて。これは海に限った話ではないけど、海に縁のないエリアで生まれ育った自分なのでなおさら。

制作作業として、脚本→絵コンテ→ロケハンという順だったか、脚本→ロケハン→絵コンテだったかは忘れたけど、一人で車を走らせて福井の海を転々と回った記憶は微かに残っている。まだ映像化されていない脚本を頭のなかで映画にしながら、しっくりくる場所を探す。

それまで、3つばかりの短編を撮っただけで、大した作品は撮れてなかったので、なんとか人を感動させるようなものを作ろうと、期するものがあったのでしょう。

撮影にまつわる様々な制約のなかで、総合的に加味して選択したこの場所が、結果的に正解だった。ただ、他の場所ならもっと上手く撮れたかもしれない、と感じることもあって、先日再訪した際もそのことを考えた。

あらゆる選択には別の選択肢があって、たとえ正解したつもりでも、そこにはしばしば別解が存在する。その別解を選んでもなお、また違う別解が存在する。

この、何とも答えに辿り着けない探索のなかで、ついにどこかで、えいやと決める。結果、とても良かったり、悪かったり──芸術は、完結して別解を無くせるからこそ潔く、そして時に美しい。作ってしまえば最後、生みの親である自分の手から離れたようにすら感じる。

芸術だけでなく、そもそも生きるうえでの選択でも、正解と別解を求め続けるもので。どこかで区切りをつけて別解を一掃できれば良いけど、人生には大きな完結が一度しかなくって、簡単じゃない。ゆえに、小さな完結としての区切りを作為的に打てることが、大人の必要条件ではないかと思ったり。それは、すごく難しいことだけど。

さて。

「見果てぬ青」という標題は、ここで撮った映画のタイトルにしたもの。

映画の内容はもちろんそれを表現するものだけど、それ以上に、きっと自分は青い何かをこれから先も見続けることになるだろうという、20歳のときに感じた漠とした予感を形にしたものでもある。

結果、大学卒業後に入社するはずだった会社に就職せず、何らかの別解を求めるように真っ青なフリーター生活を選択する。新卒カードを大切にしてなりたくない社会人になるよりも、満足の行くまで自分なりの青っぽさを追求して、それから考えればいいじゃないかって。誰に相談することもなく静かに、しかし強烈に別解を求めていて、それに手を伸ばした。

──「立って水面を見続けるだけでは、海を渡ることはできない。」

作中、主人公に対して投げかけられたタゴールの名言は、自分に対して突きつける意味で書いたんだなって、今さらながらに感じ入った。それほど大きな海を渡った感触は今もないけど、少なからず進み始めていて、方角も間違っていないと思える。これら全ての発端は、思い返せば20歳のときに感じた漠とした予感そのもので、今回の14年振りの訪問はとてつもなく大きな1周をして帰ってきたような、なんとなくだけどそれなりに成長したような、不思議な感覚をもたらしてくれました、と。

久しぶりに見た海の青さは圧倒的で、日常の些細なこと全てを飲み込んでいくような、いや吹っ飛ばすような。

次はどこへ行こうか。

ということでまた。