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RICOH GR3xで切り取る日常

映画を撮ってた大学時代を振り返ってみる

お久しぶりです、Marloweです。

SARS-CoV-2で世間がばたばたしておりますが、たぶんこれがなかったとしても私Marloweは今と同様に、時間に追われていたでしょう。なので、すっかり諦めの境地に入っております。

6月にはペースを取り戻したいと思っています。ペース取り戻したい宣言。

ということで、ペースを取り戻すためのキッカケとして、大学時代のことを振り返ります。

プロフィールのページでも簡単に振り返っていますが、私が人生において割と活き活きとしていた時代です。

その当時のことを振り返って「おいおいMarlowe、そんなに怠けてていいのか?」と、前に進めていない自分へ発破をかけたいと思うのです。

まあそんなことを言っていますが、ただ単にノスタルジックになって「そんなこともあったよなー」という感覚に留まるとも思います。予防線です、はい。

最初の思い出は「標準語に出会ったこと」

京都に生まれてずっと、ほとんど同じエリアに住んでいました。

関西弁だか京都弁だかよくわかりませんが、大体みんな同じ話し方をしていました。

そうして大学に進学して、もちろんこれも京都の大学ではあったわけですが、北は北海道、南は沖縄まで、そこには全国津々浦々の若者がいたわけです。

大学に入学したての頃、そうして他所(よそ(笑))からやってきた人々は、すぐに関西弁に馴染むでもなく、それぞれお郷の言葉を話していたので、とても新鮮でした。

初対面では「どこの学部?」とか「一浪?現役?」とか、「部活は何部やった?」とかそういうことを話すのですが、やっぱりこう、いろんな言語で会話が交わされてて、それがとてもおもしろかったです。

私Marloweが一番違和感を覚えたのはやっぱり関東弁、というか標準語ですか。「〜じゃん」「〜なの?」「〜だよ」……あげだせばキリがないですが、入った映画サークルの同期に関東組が多く、私のような生粋の関西人がむしろマイノリティだったので、変にこっちが合わせにいかなくてはならず。

ま、今となっては私Marloweも、少し標準語ナイズされた妙な日本語を運用しているような気がしますが、これは大学時代の名残です。

(名ばかり)法学部での学問

大学のランク的にも、そして学部のクオリティも決して低くはなく、やろうと思えば充分な学問が出来る環境ではありました。ただ、若かりしMarloweは「算数をしなくてもいい」という、ほとんどそれだけの理由で法学部に入りました。

今となってはそのときの勉強の成果というか、法的に考えることの基本の有無が仕事に直結してるところもあって、まぁ無駄ではなかったなーと思ったりもしています。

でもやっぱり学問は与えられるものではなく、自ら進んで行うものであって、たとえ環境を整えても本人のやる気がなければ人間はどうにもならないと思いました。

ただ、成績が悪かったわけではありませんよ。講義にはほとんど出席していませんでしたが、テストでの落第はほとんどありませんでした。ほとんど。

(これがメイン)学生映画を中心に生きた日々

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Panasonic DVX100 これが大学時代もっとも触れた道具でした。

大学時代はこれがメインでした。プロフィール欄をご覧いただいた方はご存知かと思いますが、そう、学生映画です。画像で上げているのは、Panasonicの名機DVX100です。今となってはありえないですが、これを使っていました。

私は平成生まれでつい最近?(7年前)に卒業しました。でも、大学時代は「テープ」で映像を撮っていたのです。なんとまぁ……と今になっては思いますね。ここ数年での映像関連のテクノロジーの進化はとても早いです。今では機材を選ぶのに困るほど選択肢がありますからね。

さて、前提として、私Marloweは高校までずっと運動系(小学校のときサッカーと剣道、中高はサッカー)でしたので、どうしてそこから映画制作?ということなんですが。

映画は観るのが好きでしたし、何か形になるようなことをしたいなーと思っておりまして。まぁそんな感じです。入学する前からこのサークルに入ろうと、そう決めていました。

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虹の女神』という映画です。DVDとサントラ。

高校生のときに観た、『虹の女神』という映画の影響もあったと思います。映画館で観た記憶があります。映画研究部、いわゆる映研が舞台となっていた映画です。そんなに感動はしなかったのですが、映像綺麗やなーとか、なんか青春っぽいなーと、そういうのがありました。

ちなみに、この記事の冒頭にあるカメラは、私の前にサークルの部長をしていた先輩から譲り受けたものです。今はもう動かぬフィルムカメラですが、オブジェとして飾っております。素敵でしょう?

また、その隣にあるのは、無印良品のノートです。漫画用のノートとして発売されていたのですが(今もあるのかな?)映画のカット割を考えるときに愛用していました。ただただ四角い枠が書いてあるノートです。

下手くそな絵ですが、これを描き描きしているのは楽しかったですね。映画を観るのではなく、俺は作ってるんだ!と感じたものです。

また冒頭の写真。「撮影は楽しく!」とか色々書いています、若いですね。あんまり他人に遠慮がないので(今もあんまり変わってないなぁ)ついつい人に厳しくしてしまう自分をセーブするために書いていたのだと思います。楽しくやれよ、それが一番だぞ。と。

ただ、今でもメイキング映像を見ると、演者やスタッフは皆つらそうです。ははは。でも楽しかったはずです、きっと。ふふふ。

映画を撮るのって難しい

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部活と違って「先生」がいませんから、ひたすら独学した。

私Marloweは、役割として「脚本」「監督」「カメラ」「編集」を担っていました。各個人が自由に率先して作品作りをしていい団体だったので、私は1年のときからずっとこのスタイルでした。

俺の映画!俺の世界!俺のメッセージ!それだけやるぞ!というわけです。演技はできませんでした。超絶大根役者であろうことはカメラの前に立たずとも自分で分かりましたから。

主役については、高校時代からの友人をいつも起用してました。そうやって「人ありき」の脚本を書いていたわけですね。彼の名はS君。演技派でした。

さて、これはもう「学生映画あるある」なのですが、結局のところ環境や人材に制限があるわけです。すんごい目が飛び出るような美人を登場させたくてもそんな人はサークルにいなかったり、キムタクばりのイケメンを出したくてもじゃが芋みたいな俳優しかいなかったり(失礼)。いや、美男美女もいましたが、演技力とか、タイプとか、やっぱり色々あるじゃないですか。私Marloweは人の外見よりも、演技力や熱意を買うタイプでしたので。

……とまぁこんな風に、小説を書くのとは違って、何から何まで思い通りにはいかないのが映画制作でした。

映像をアップできないのが残念ですが

(個人情報祭りですので)映像をアップできないのが残念ですが、色々な思い出があります。

車の免許を取得して、色んなところにロケハン(ロケーション・ハンティング)に行きました。ここなら撮影できそうだなーとか、ここではこんなシーンが撮れそうだなぁとか。ほとんど一人でうろうろして探していたけれど、とても楽しかった。

ほとんど京都で撮りましたかね。あとは福井とか。友人の下宿先でもよく撮りました、定番。

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原稿用紙と、右上が情報カード。右下は脚本ですね。

脚本は、決まって喫茶店で書いていました。このブログではお馴染みの例の喫茶店や、京都市内にある上島珈琲やスターバックスをよく利用していました。

山盛りの煙草と珈琲を消化しながら、いつも2時間から3時間くらい、じっと腰を据えて書いてました。とても贅沢な時間の使い方だったと思います。

特に、四条烏丸にあるスターバックスのテラス席で、平日の昼間から夕方にかけて、ぼーっと人や車の往来を眺めては脚本を練って……というのは、私の創作活動の原風景です(大げさ)。

あとは同じく四条烏丸にある上島珈琲の2階席ですね。ちょっと苦目の珈琲とジャズと、効きすぎた空調の感覚は今でも身体に呼び起こせます。染み付いてるなぁ。その頃はメンソールを吸っていたっけか。

新しい脚本を書くときは、好きな映画を観て、そのサントラをTSUTAYA(蔦屋!懐かしい。)で借りて聴きながら、あーでもない、こーでもないと書き上げました。映画音楽を聴いていると、自分のなかにある描きたい世界もふんわりと浮かび上がってくるのです。

また、情報カードなるものを活用したりもしました。これに1シーンごとに要素を書いて、並べ替えたり、捨てたり増やしたりして少しずつ世界を構築していきます。

サントラの話に戻りますが、それを聴いて、実際にそのサントラを使ってみたり(著作権!まぁお金とってないし…)もしました。

「セリフに合わせてBGMを作る」というのがごく一般的な商業映画の作り方ですが、私Marloweに音楽を生み出す力はなく、身近なところにもそんな人材はいなかったので、拝借しまくりました。先にBGMがあって、映像はそれに合わせなきゃいけない。難しいけど、ハマったときはとてつもない快感でしたね。キタキタキターー!って。

……うーん、こんなこと書いてると自分の作品が観たくなってきました。卒業してもう7年くらい経ちますが、これができるのが映画サークルの醍醐味だとも思います。これはもうノスタルジックな自慰行為です、完全に。分かる人には分かるはず。

思い出の味はカントリーマアム

どうでもいいような記憶の切れ端なのですが、カントリーマアムです。

なんせお金は有限でしたから、プロのように撮影現場へケータリングを頼むなんてもってのほかです。大体は監督が買い出しをしてきてお菓子を齧りながら撮影をします。

小分けになっていて手が汚れないもので、それでいて栄養が補給できてってなると、それはもうカントリーマアムなのです。大体みんな好きですから。

今でもこれを食べればMarloweは一瞬にしてスーパークリエイティブノスタルジックモード(?)になります。食いて。

太陽とか、風とか、音とか、いろいろな偶然と生きる

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結局少し観返してしまいました。

恥ずかしながら、まあ頑張ったよなーと思います。

訳のわからない男女の話とか、爽やかぶってるロードムービーとか、30分で3人くらい死んじゃう話とか、結局何が伝えたいかわからない雰囲気映画とか、色々撮りました。

天候とか、風の強さとか、環境音とか、演者やスタッフのテンション(特に重要)とか、いろんな偶然と共存する必要がありました。これは個人的で閉鎖的な創作活動ではなく、チームプレイでオープンな活動ゆえに、当然付き纏ってくる問題でした。

でも、そんな偶然が全て噛み合わさってよいシーン、よい演技・映像が撮れて、編集も上手くいって、上映会でお客さんを入れて観てもらった瞬間。エンドロールが終わって、訪れた静寂の瞬間。あっ、退屈させなかった、面白いと思ってもらったと感じた瞬間。すごかったと先輩や同期から言われた瞬間。これはもう最高のエクスタシーでした。

この思い出に勝るものは今でも無い気がします。(うんうん、思い出してきたぞ。)

作った作品は学園祭などで上映会をしていたんですが、とある2人組のお兄さんらが2日連続で自分の映画を観に来てくれたことがありまして。「面白かったので今日も来てしまいましたー」と。感動しましたよ。

一緒に写真撮ってくださいって言われて、演者らと一緒に撮影した写真は宝物ですなぁ。(あー、今も頑張らないとなーと、つくづく思い始めてます。)

さて、教訓というか、やっぱりそうだよなーと思ったのは、自分が伝えたいこととか、強く思ってることを全面に出しすぎると、往々にしてウケが悪い、とうことです。

むしろ、伝えることよりも「面白くさせたい」「飽きさせない」そういう思いで作った作品のほうが、よくウケました。結果的に、伝えたいことも伝わりやすい。

あー、楽しかったなぁ。

部長なども務めてストレスも多くて、それなりに大変でしたが。「1年間、決してしんどいって言わない」っていうミッションを自分に課したりもしましたが。ああ懐かしい。

表現することの楽しさとは

掃除をしていて、懐かしい思い出の品がちらほら出てきて、結局、掃除が前に進まない……そんな日記になってしまいました。

でも、少しは当時の感覚を思い出しました。感覚というか。気概というか。

最後に、当時の私が、今でも最も仲の良い先輩に言った言葉で、その先輩が今でも忘れてくれない名言(迷言?)があるので最後に引用します(引用とはこれまた大げさな)。

「表現することの楽しさを知ってしまった人は、一生それから逃げられないでしょう。」

今その先輩はロンドンかどっかで仕事していますので、また会ったときに細かい言葉遣いを確認したいですが、こんな風な言葉だったと思います。

うーん。他人に対して言った言葉なのに、自分が一番その呪縛から解き放たれてないなぁとつくづく思います。今でも別の創作活動というか、表現というか、そういうのを生きがいにしてるわけですから。

映像を撮ることはすっかり辞めてしまって、卒業後にいくつか友人の結婚式の動画を撮ったりしたくらいで、スキルもすっかり落としてしまってますが、例えば写真は今でも好きですね。他にも、映画制作から派生して続けてることがあったりします。大事な文化的活動です、はい。

もうちょっと仕事頑張って、自分の好きなことをする時間を生み出さないと。そうやってじわじわ思ってきたので、この記事は一応成功ということにしておきます。

表現活動って最初はカタチにならなくて、思い通りにならないものですが、ハマると日常に芯をもたらしてくれるものなので、おすすめですよ。

それでは皆さん、今日も読んでいただきありがとうございました。良きカルチャーライフを。

私Marloweはとりあえずカントリーマアムを買ってきます。ふふふ。