こんばんは。
これを書いているのが11月30日。今月は何とか月内に振り返りを書くことができているけど、例によって今月も数日間は体調を崩していた。ここ数ヶ月はまるっと快調で1ヶ月を過ごすことができていないし、どこか課題感がある。そして、凡事徹底という言葉が頭に浮かぶ。些細なことの積み重ねで健康は維持できるはずで、自分にはそれができていないんだろう。
──とは言いつつも、元気なときは調子も悪くなくて、できたこともいくつかある。
兵庫県神河町の砥峰高原へ再訪を果たした。隣県とはいえほとんど岡山というか、片道3時間近くかかるので訪れるにはそれなりの気合いを要する。そろそろススキが綺麗な時期だろうなと11月に入って思い立ち、天気も悪くない日に有給休暇を取れたことだしということで。ただ、山の天気は一筋縄でいかず、太陽が時折顔を出してくれるかどうかという具合だった。
目当てとしてたのは景色よりも風の音。少し高原を登ったところで目を閉じて、耳に入る風の音に集中すると心が澄んでいく。必携すべきはカメラではなく集音器だったかもしれない。ないけど。景色よりも風の音が愛おしかった。
ここ、毎年訪れたいかというとそういうわけではない。なんならもう10年は行かなくて良いのではないかという気分にすらなっている。ススキの良い時期に訪れて、1時間かけて高原を1周して、もうお腹いっぱい。なんだろう、「何もない」ということをぐっと味わいときには良いんだろうな、という場所か。
今年の京都の紅葉は色づきが遅くて、11月末でもまだまだ葉が残っている状況。どこにしよう、とりあえず南禅寺行くかってことで来てみたら写真を撮る気が失せるくらい人がいて。平日なのに。やっぱ紅葉は始発で行くくらい早起きしないと極上の体験ができない。
スマホに良いカメラが付くようになって、万人が写真を撮るようになった。自分も漏れなく散策するときにはカメラ片手に歩いてるけど、純粋に「今この瞬間」とか「体験」に没頭することができなくなったような。カメラを持たずに、写真を撮らずに、スマホも持たずに、イヤホンも付けずに、何も持たずに歩くべきではないか──というのが、今年の紅葉を見ていて思ったこと。
その瞬間は心に留めておいて、あとからこうやって言葉にして記したり、絵に描いたりすることもできるよなぁと思ったり。
ずばり「体験の濃度を上げる」ということをテーマに12月は取り組んでみよう。
ということでまた。