こんばんは。
例によって翌月へ足を踏み入れてからの振り返り。何かしらの言い訳やとぼけた表現で始まることが多い当ブログですが、今月もしっかりと書けなかった理由から記す。 それも日記の本旨だから。
──まず、いま仕事を1週間くらい休んでいる。あと数日は休むかもしれない。というのも、ヘルパンギーナ的な夏風邪に罹り、喉の激しい痛みと、飲んだ薬の相性の悪さ故の薬疹に身体がやられてしまっているから。もう熱は下がったけど、発疹が酷くて外に出れたものではない。
お酒はもとより、珈琲すら飲めずに1週間近くを過ごしていて、もうすっかり参ってしまっている。そんな散々な6月末から7月にかけての期間だったけど、6月中旬までは悪く無い感じだったように思う。(しかし正直なところそれすら忘れ去るくらいの高熱と喉の痛みで、健康だったときの日常とすっかり分断されてしまっている)
ライフワークとしてのスナップ撮影には何日か出かけていた。何度目かわからない再訪となった哲学の道界隈は、季節の移ろいより多く訪れている。すっかり草葉が茂って緑の世界となっていた。梅雨の谷間だったけど涼しくて、湿気に辟易することはなかった。しっとりとした空気感が写るように撮ってみた。
一眼レフなり、ミラーレス一眼なりを所有していてレンズのことを理解するようになると、往々にして陥るのが「レンズ沼」である。最近は通称「撒き餌レンズ」であるEF 50mm f1.8を多用してるけど、もう少し望遠、もう少し広角を撮りたいときがなくも無い。
「じゃあ」と手を伸ばすのが標準ズームという、いわゆる広くも撮れるし遠くも撮れるしというやつ。……なんだろうけど、便利ズームだとどうしても「芯」だけ使いたくなって、レンジを持て余すのが目に見えている。じゃあ85mmか、105mmか、あるいは35mmか、28mmか、24mmかと思案が止まない。いまは85mmかなぁ…と傾きつつあるけど。
紫陽花とか深まる緑をパッパと撮りながら歩いてると鹿に遭遇した。いきなり獣に遭遇するといかにも置物のように感じてしまうけど、それじゃあ野生の世界は生きていけないなぁと反省するなど。
それはともかくとしてレンズの話に戻すと、とりあえず今は下手に増やさずに、50mmとGRⅢxの40mmを極めることにする。
すごく当たり前のことを書くと、50mmというのは人間の視野に近いので撮りたいとふと思ったものを撮りたいように撮りやすい。裏返すと、構図が凡庸になりがち。ここから一歩踏み込んで表現にまで昇華していく必要があるなぁ。
久しぶりに出町商店街を通ると、活気があって驚いた。錦市場のインバウンド志向とは違って、地元の人による賑わいがあってとても良かった。近所にあったらその日の夕食を毎日買いに行きたいようなそんな感じ。
智積院を初めて訪れた。駐車場無料という懐の深さが◎。綺麗に整備はされてるけどちょっとやり過ぎかなぁというところ。
ということで、すっかり気の抜けた振り返りをするのが限界という状況でした。健康というのはあくまで手段であって目的にはなり得ない性格なので、いくらアラサー真っ盛りで四捨五入すれば四十路というエリアも眼前に迫ってはいても、結局平時に戻ればいつも通りの生活をしてしまうだろうなと。ただ、今回落ちた体重はそのままキープしたいとは思っている。とりあえずこのくたびれた身体を今週は休めて、来週以降ちょっとずつ夏に順応していこうと思う。
祇園祭もあるけど、どえらい人だろうしなぁ。