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RICOH GR3xで切り取る日常

31歳の振り返り(2022年3月の振り返りに代えて)

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今回の投稿は理科系になってるだろうか、いやなっていない。


こんばんは。

2022年になってからあっという間に3月も終ります。

光陰矢の如し。

焦るようにして本を何冊か読んだ。

ようやく冬が終って春が顔を出してきた。

気温の上昇とともにMarloweの調子も上がってきた。

そうそう、つい先日は母校(大学)の卒業式がありまして(参加したみたいな語調ですが、開催されたという事実を書きたいだけ)。

3月中旬過ぎの日付が自然と着想させる母校の卒業式。

9年前(き、9年前!?)に大学を卒業したことを思い出したり。

愛校心かな? まぁそうなんでしょう。

とにかく愛着を感じられる学校、大学に通えたことは恵まれたことだったというか、ラッキーだったと思います。

「中高一貫」って言葉があるけど、Marloweの母校においては「幼稚園から大学まで」整備されていました。

そのなかでMarloweは高校からの入学という、マイノリティーな合流。

ちょっとした転校生気分を味わえて、かつ、これはMarloweに限った話ですが自覚としてはスクールカーストの最下層(というかメインストリームとかけ離れたところ)にいた。

そんな自分ですら愛校心を感じるくらいだから、これはもう魅力的な校風というか、尊い理念というか、とにかく外部環境の賜物だろうと。

思い入れが、友人ではなく環境にある。

まぁ環境というのは一人ひとりの人間の総和とも言えるけど、そこにいる人だけで環境が成立するわけではなくて。

自分がいた環境には、脈々と受け継がれている無形の力があった。

週に何度かある礼拝や、個性的な先生達などなど。

今もなお愛校心を抱くのは、中にいる人や建物が変わろうとも、きっとそこにあるであろう同様の理念とか思想があるからなんだろうな、なんて考えたり。

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要は、one purpose. ということですね(内輪)

色々な写真を見返しながら懐かしいCDを聴いたり。

思い返せば卒業して結局すぐには就職しなくて。

内定をもらっていた会社に断りを入れ、晴れて無職として大学卒業後の生活が始まりました。

そんな9年前の志(という名の現実逃避)みたいな、今でも存在するような気がしてるこれはきっと「自分の核」ともいえる。

社会に出るにあたって、安定した既定路線を捨て、無職という大きなビハインドを負ってもなお突き通したかった信念。

※働きたくない、ということではない。

改めて、自分が本当に大切だと思うことをライフワークにできるよう、ゆるーく(ここ重要)頑張らないとなと思っています。

3月の定番

さて、振り返り。

人事異動以外には特段トピックめいたこともありませんでした。

そして結局、異動はなかったです。

異動はしてみたかったけど現所属から必要とされることには悪い気がしないし、4月以降、異動にありがちな新しい人間関係に気を遣う手間もないし、結局、属する係は変わって割と自由に仕事ができそうだし。

色々考えると、まぁええかと思えてくる。

この土日はたっぷり仕上げの仕事もしたし、Marloweもすっかりサラリーマン。

──ということで。

毎年恒例(?)の誕生日を基準とした、4月から3月の1年間を振り返ってみます。

31歳には何があっただろう。

ということでまずは、31歳になってからの記事を読み返してみます。

スタートダッシュならぬスタートウォーク

まず、ドキュメンタリーの良作を観た。

良作だった。

(多少の演出はあれど)本作には嘘がありません。

内容が全て真実だから、あたかも自分がそこにいるみたいな感覚が生まれる。

何よりの魅力なのです。

あと、Marlowe的に一番心に残っているのは、日本ではしばしばうるさいと言われがちなスケートボードの音。

人気のない深夜や早朝の道路をゴロゴロゴローーと。

この響きに彼らの人生の本質が詰まっているように感じたり。

日常に蔓延る困難や、なかなか抜け出せない劣悪な環境、その他諸々のストレス……これらを忘れさせてくれるのはとにかく滑ること。それだけが、色々なことを忘れさせてくれる。

ボードが滑る音を聞いて、彼らが進み、また転んでる様子を観れば、手にとるように感じられる。

音が鳴ることや振動が生まれるということは、入力した自分のエネルギーが放出されている、という見方もできます。

自分と、地べた(世界)の対話ですね。

痛みがなきゃ強くなれない。

うん。

痛みというのは、とことんフィジカルなものとしての痛み。

擦りむいたり、打ったり、筋肉痛になったり。

最近、Marloweには痛みがない。

ちょっとばかし自戒。

これが31歳のポイント①。痛みがなかった。

4月以降の5月6月7月とずっと低空飛行で、時には転職をしようと思い立ったりもしてて、何も足されることなく、何かが失われ続けた序盤。

まぁ個人的に失われるほどのものは何も持ち合わせていないけど、まぁ、活力かな?

そんなこんなで9月になって、育児時短勤務(16時半までしか仕事しない)を適用しまして、仕事を毎日強制終了するようになりました。

命令される残業は0に。ストレスも0に。

ストレスが減った結果、転職欲もなくなりました。

そんなこんなで、2021年が終り(振り返ることがなさ過ぎる)。

ポジティブに表現するなら「穏やかに」年越しを迎えます。

ネガティブに表現するなら「平凡に」。

思い返すほどの変化がなかった年でした(あったのかもしれないけど、何かを自分で意識的に変えることはなかった。)。

世間では1年ずれてオリンピックがあったり、コロナは未だ収束せずに世間がバタバタしていたり。

しかしまぁ思い返すことがないということは、個人的には平和だったことの裏返しでもあるわけで、誰かを特段憎んだり嫌ったり、はたまた誰かから傷つけられることもなかった。

単にすんなり忘れてしまってるだけかもしれないけどさ。

忘れられることも含めて、それほど苦しみのない日常を送れていることは僥倖なんですよ。ほんとに。

 

年が明けて2月。

ここらへんで2021年度の出来というのは定まってくるわけです。

2021年度の、31歳のハイライトは上の投稿にあるように、ドライブ・マイ・カーという映画を鑑賞したこと、あとは京都サンガF.C.がJ1に昇格したこと、これくらいです。

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この世界にはラン活という現象があるらしいけど、鞄の良し悪しと学問の良し悪しは必ずしも比例しない(名言ぽく)。

そうこうして今月、3月。

先日は長男のランドセルを探しに出かけるなどしました。

曖昧な記憶によるとMarloweは小学3年生くらいで早々にランドセルをリタイアし、祖母に買ってもらったFILAの軽いリュックで通学していたような。

30代で体重60kgのMarloweが1kgの鞄で「これ以上は無理、重い」と感じてるのに、20kgに満たない長男が1kg超のランドセルを背負うって、そりゃ重いだろうって思うけど。

まぁそれもタフさを育てる一因なのかと思ったり。

そう、痛みがなきゃ強くなれないからね!(自分宛)

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4月始まりの手帳を買った。青い。W杯イヤーだな。

2022年度。32歳。どうする?

普段は1月始まりの手帳を繰り返し買ってて、今年2022年はスケジュール管理意欲が最低レヴェルで、ペラペラのミニマムサイズの手帳しか持ってなかったところ、ふと思い立って購入。

仕事に関しては、今年は特に自分でコントロールできる裁量が大きいので、効率的に(という言葉は実は嫌いだけど)仕事を済ませて、ちょっとくらいは成果をあげて。たくさん付属するメモ欄には仕事以外のことをたくさん書き込めればと企んでる。

そこで、2022年度≒32歳、これどうする?ってことですが。

こうして31歳を振り返って32歳を前にして思うのは、まず欲がないこと。

たぶん32も33も34も、きっと迎えたときに焦りを感じるような数字ではなくて、加齢を焦りに変換することはもうできないのかな、きっと。

外からくるきっかけで自分が燃えるのは若いときだけだな。

外は外、自分は自分という認識が一度定着するということは、要は感度が落ちてるってことなんだよな。

何もかも自分で生み出そう、生み出すしかない、ということです。

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誕生日を前に妻にご馳走してもらったり。季節を感じる食事って幸福2.0。

ひとまず、4月1日からは仕事をぐぐぐっと頑張ります。

処理能力を試されるポジションではなくて、生産能力・提案能力を試されるポジションになったので、少しは頭を使わなきゃいけないから。

あとは、身体づくりね。

もう少し身体を絞ろう。

ということで、振り返り終り。