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RICOH GR3xで切り取る日常

会ったことのない人がいなくなることについて(2022年4月の振り返りに代えて)

今月はなんと言っても4月でした。

本来であれば32歳の誕生日について振り返り、今後の我が人生の展望について盛り盛りで語るべくところ、つい先日、全国区のニュースとしてある人物の訃報があったので、今回の投稿はそれがメインとなります。

この投稿を読んでくれている99%(いや100%かもしれない。)の人が知らないであろう著名人。その人の名を、見田宗介といいます。

小さくともしっかりした手応えある書物を賜っていたり。再読するしかない。

「人生に影響を与えた作家を5人挙げよ。」と問われたときには、まず入ってくるであろう人物。社会(科)学の界隈では有名な学者でしょうが、そこに関心がなかった場合は手をのばすことはまずないでしょう。かなしいかな。

昨今の(いつからが「昨今」かよくわからないけど)キャッチーなタイトルで惹きつけて瞬間的に売れて、風のように書店から消えていく類(たぐい)の本ではなく(そういう本ばっかり売れるから悪循環なんですよね、業界的に)ちゃんとした本を書く学者です。

なんかこう、ちゃんと鳴くカッコウです。って言ってるみたいですが、ちゃんと書く学者です。

──そう、とにもかくにも学者ということです(語るのも憚れるくらいの学者です。)。

Marloweにおいては、教養というか、あらゆる知識への欲を授けてくれた存在でした。ただ生きるのではなく、考えて生きるというベースを敷いてくれた。

『社会学入門』の表紙裏。なんのキッカケかわからないけどフリーターのとき(たぶん社会学を猛烈に学んでいた時期)初めて彼の本を読んだみたい。BEST、○、って感想だったみたい。ドッグイヤー多し。

個人的には、問うべきものを的確に問うていた稀有な存在──と表せるかもしれません。

何者でもない会社員が何を評するか……というところですが。

ここからここまではこうだと思います。

ここから先のことはこれから考えていくところです。

明確な線を引いて、我々読者の目線まで降りてきて物が語れる人はそう多くない。

もっともらしい(それでいて100%ではない)答えを出すことよりも、今後の羅針盤となるような決定的な問いを投げかけられるほうが、人類にとってどれほど有益か。

うん、やっぱり見田宗介を失って私は残念がっている。会ったこともないのに。

大学を出てモラトリウムを継続していた自分に対して、学問から逃れられないこと(逃れるべきではないこと)を痛感させた学者。いや、させてくれた学者。

ちょっと考えてみても、途方にくれてしまいがちな壮大なこと。

これに対して、途方に暮れず考えさせてくれるための手解き(てほどき)をしてくれた人、その人です。

とびっきり優しくて、それでいて鋭い補助線を与えてくれて、「しっかりと考えること」への誘い(いざない)を与えてくれた人。

うーん、かなしいなぁ。

生命力の緑。

会ったこともないのに、惜しい人間を失ったと思うし、ぐっと重さのある喪失感があります。誰かにとっての見田宗介ではなく、時代にとっての見田宗介だったと思うのです。もちろん、人としての見田宗介は世を去ろうとも、出版界の彼は偉大な生みの親としてこれからも人々のなかで生きていくんだろうな。私Marloweにおいても、座右に置く書物に違いないのですから。

とにかく、私は学者でもなんでもないですけど、でも、少しばかりのわかっていることがあって。

何かを知っていることと、その何かを活かしてメッセージを発することのあいだには、途方も無い距離がある。

これくらいのことには、ちょっとした理解があると思っています。「消費者と創造者の違い」とでも言いましょうか。人に伝えることって、生半可なことじゃあない。そして、こうしてブログを書いている書斎において、背後に控える(彼の書物を含めた)多数の書物達が「お前はこのまま、単なる消費者として人生を全うして、それでよいのか?」そう問うてくる感じがします。

いやー、良きゃないですよ。

最近は職場での地位が少しばかり上がって、存在感も増しつつあって、上席の人々からも確実に信頼を得つつあるけど、そんなものには皆目、関心がなくってさ。望むべくは、こうやって何か自分の考えたいことだけを考えながら、あわよくば生み出しながら、日々を生きていたいと思うのです。

咲き誇るツツジの献花ショット。

ツツジの花言葉は、「節度」や「慎み」だそうです。

見田宗介先生の世界に対する姿勢は、その壮大で深淵な思想からは意外なくらい「謙虚」でした。

知識が世界を覆うことは決してない。人間が世界を覆うことも決してない。でも、考えていかなくちゃならない──

4月から5月にかけてツツジが咲き誇る風景を見て、改めて見田宗介先生の残してくれたものを噛み締めよう、そう思うのです。

ツツジの花言葉は他にもあって、白のツツジは「初恋」。

赤のツツジは「恋の喜び」。

自分の学問の道程に、それも歩み始めた冒頭に見田宗介先生がいたことは、一種の初恋のようなものだったのかもしれません。

そんなことを考えて4月の振り返りを終ります。

うん、悲しいけど頑張ろう。

GWはどこにも行きませんが、冒頭に友人の結婚式があり、高校時代の友人達とフットサルをしたりと比較的社交的なイベントもあるので、体調に一層気を配りつつ(恐るべき)夏へ向かっていくための体力をば養っていこうかと、そういう32歳のMarloweです。

ぼっちらカメラ買うかな。