2024年4月の振り返り

2024年4月。

34歳の始めの1ヶ月。月末になったので仕事そっちのけで書く。

ということで、振り返り。

中旬に、福井県のとある(自作の)ロケ地に行った。詳しくは先の投稿のとおりだけど、少し時間を置いて、巡る状況の変化を経て、頭に浮かんでいる言葉がある。

それはとある有名な祈り。

神よ 変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。

変えることのできないものについては、それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。

そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。   

昔から好きな言葉の一つであり(いつ出会った?高校生の頃か)何か座右の銘はないのか?と聞かれると、すっと出てくる言葉。(そんなことを他人から聞かれることはまずない。そしてきっと、聞かれても言わない。)

あの海の青さがトリガーになったのか、なぜだか思い出された次第で。ここを始点にして考えを深める前に、この言葉と出会った経緯に触れておく。

1度目の、出会いを忘れてしまってはいるけれど、これはいつからか知っている言葉で、たしか大学の卒業式で、学長が祝辞で我々卒業生に語った言葉でもあった。その時が自分にとっては2度目で、偶然にしっかりと2度塗りされて、自然と身体に刻まれている。そんな経緯。

変えるだけの勇気、変わらないものを受け入れる冷静さ。

そして、いったい私は何を変えることができて、変えることができないのか。

変えられそうで変えられないのが、自分自身。ただ、今月は変化があった。

誰かの目や感性そのものを羨むような、いや、尊重するようなことがあって、それは自分にとって稀有なことで。34歳にもなると、人によって微妙に違えど、新しい感覚、視点を会得することはとても難しいはずで。そんななかにあっての変化なので、どうした?と。

私的な理論として、個性の完成、というか硬直は、25歳くらいに到達(というか直面)してしまうのではないか…?というのがあるけど、これを覆すような。この人の言葉、感性に触れていたいと。

まるっと手に入らずとも、いや、寸分も自分のものにならなくても(そう、変えられないものを受け入れて)同じものを見ている時間が至高というか。そんな体験、そんな4月。

そしてすっと冷静に、反転して考えると、よくもまぁ34歳になるまで人の感性を尊重しないで生きてこれたなと、自分よがりの半々生を疑って(自明のことなので疑ってすらいないけど)余りある。かわいく言えば、自分のことで精一杯。悪く言えば、唯我独尊。

もしかすると、根っこのところは変わっていないかもしれない。今回のは出会いありきのことかもしれないから。いずれにせよ、この感覚は大切にしたいというのが結論。

珍しく、本当に珍しく、人から何かを享受した気になっている(当人はそんな気はないだろうけど)。

そしてまたすっと冷静になって、くるっと転じて、考えずにはいられないことがある。

果たして自分は、人に何を与えられるのだろうか?って。

いつぞや、大学生活のほぼ全てをかけた映画制作サークルの退会時(何年前だろう、13年前?)柄にもなく絞り出すようにして後輩に送った自分の言葉を思い出す。

「人に何かを与えられる人であってください。」

去り際の自分の厚かましいそんな一言が、巨大なブーメランになって今、自分に返ってきている。今というか、ずっと自分のなかにはあったものが、現前してるのか。

人に何かを与えられる人であってください。はい、はい。

人に何かを与えるのは難しい。差し出せば、即ち贈り物になる、というわけでもない。字面ほど、簡単じゃない。ここには、二重の難しさがある気がしている。

①与えて誰かを幸せにできるほどのものが自分のなかにあるか。

②与えたいと思えるほどの誰かがいるか。

いくら①が充実しようとも、②がないと器用貧乏というか、孤独に近いし、②があっても、①が足りなければお話にならないような。

こうしてよくよく考えていると、自らの「人に何かを与えられる人であってください。」の言葉の趣旨は「求めるのではなく与えよ」だったことを、ここまで書いてやっと思い出した。改めて強めに自戒しておく。求めるのではなくて、与えよう。

──さてさて。

書くに書ききれないことがたくさんあったこの4月。ただ書かずとも、この記事をいつか読む自分には何がどうだったって、分かるようには書いている(つもり)。

ひと月が終わっていくことを寂しく感じるのはとても久しぶりで(特に好きではないけど)夏の終りのような儚さがある。一方で、例年なら辟易している5月の始まりさえも、然として受け入れている。そればかりか、この貴重な気流を失うまいと意識している。

昼も夜も支えとなる支点を得たような、仔細に表現はできないけど、ありがたい出会いがあったということを書き記しておく。おかげさま、で。

最後に記録だけしておくと、走るのは仕事を多く持ち帰ったことが主原因で、あまり捗らなかった。それでも軽く鞭を打つように走っていたので、記録だけ残しておく。距離こそ半減しているけど、これはもう仕事のせいでやむなし。タイムはキロ1分以上短縮できている。体力、健康は裏切らないのモットーで、5月もめげずに走れよ自分、と。

ということでまた。