指折りの場所を再訪する

冒頭の写真でどこかがわかる人はなかなかの京都通。

──さて、8月も終わりに向かっている。

我が社は一斉に夏季休暇があって営業をやめるのではなく、個々がそれぞれに夏休みを取得して営業を継続することになっている。

8月に入ってからぽつぽつと休んでいた私は昨日、最後の休暇をとった。

有給休暇は晴天に限る。

……しかし、そうは言うものの特段前もって過ごし方を決めたりはしない。

用事を一通り済ましたあとに、ほっと書斎で一息つく。

「さて、何をしよう。」

昨日はすぐに思い立った。京都でも指折りの(正しくは個人的に指折りの)スポットを訪れよう。

そしていくつかの候補を手札として思い浮かべる──

選んだのは嵐山の少し奥にある、愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)だった。

RICOH GR IIIx, 40mm, f5.6, 1/320sec, ISO200

数年前に初めて訪れたときも同様に平日で、早朝だった。

ちなみにここは8時からだけど、このあいだ再訪した法然院なんかは6時から空いてる。

www.nihombashiexit.com

朝早くから開けるというのは、おそらく来訪者ありきではない。信仰とか、しきたりとか、手段と目的が一体化しているような「当然」の行いとしてなされることが多いと思う。

朝6時に開けるための経費をペイするだけの来訪者があるだろうか?たぶんないだろう。

お金の問題ではない、という決意表明のように見えて、朝が早い寺社にはとても好感が持てる。

さらには(維持費とかいろいろあるんだろうけど)お金を取らない寺社にも好感を覚える。

寺社って、本来は訪れる人を選ばない場だと思うから。

たしか鷲田清一もそんなことを言っていたような。

bookclub.kodansha.co.jp

まぁとにかく、愛宕念仏寺を再訪したわけです。

RICOH GR IIIx, 40mm, f5.6, 1/160sec, ISO200

門をくぐって拝観料300円を納め、階段を上がる。

特に落葉するような季節でもないけど、手入れが行き届いているのはすぐに感じる。大切にされている建物というのは一目してわかるものである。性質は全く違うけど、地銀や小売店など、商いをする建物においても、店回りの掃除から1日が始まることは多い。

習慣は尊いな。

RICOH GR IIIx, 40mm, f5.6, 1/125sec, ISO100

書斎に緑を取り入れてからというもの、苔に対する愛着が強い。

愛宕念仏寺は本堂の前のスペースを除き、ほとんどの場所が木陰になっていて夏でも至極過ごし易い。

苔が捗るわけである。

RICOH GR IIIx, 40mm, f5.6, 1/200sec, ISO200

なんでも、1,200体の羅漢の石像があるとのこと。掘ったのは一般の参拝者だというから驚き。

詳しいことはオフィシャルのHPに載っていた。

www.otagiji.com

いま世間では「信仰」に関連したニュースが飛び交ってるけど、そもそもの「信仰」自体のイメージも悪くなりそうで、伝える側の無力さを改めて感じる。

まぁそんなことはさておき。他の来訪者は一人だけで、贅沢な時間だった。

RICOH GR IIIx, 40mm, f8.0, 1/100sec, ISO200

上の写真のような、本堂の回りに板張りの廊下?がよくあるけど、ここが好きである。

人が少ないときには、座り込み、ぼーっと佇んで風を感じ、歴史を想像する。

ここの板張りは知恩院の三門や、東本願寺の本堂と同様に、絶好の佇みポイント。

思考をやめて、ただただそこにいる。

背筋を正して生きないとなって、そう思う。

そういや今日は祖父の命日だった。

RICOH GR IIIx, 40mm, f3.5, 1/400sec, ISO200

RICOH GR IIIx, 40mm, f2.8, 1/125sec, ISO200

もし自分が何かしらの宗教を信奉していて、こんな風に石像を掘って、置くことができたなら。それはとても素晴らしいことだと思う。

墓石業者の作る墓よりも、よっぽど「残したいもの」になるし、「ここが父さん(じいちゃん)の墓だぞ」って墓を教えるよりも、「これが父さん(じいちゃん)の作った石像だぞ」っていうほうが、残されたほうも気持ち良い気がする。

RICOH GR IIIx, 40mm, f2.8, 1/100sec, ISO200

RICOH GR IIIx, 40mm, f2.8, 1/40sec, ISO100

RICOH GR IIIx, 40mm, f8.0, 1/500sec, ISO100

40mmという単焦点のカメラを扱うのはこのRICOH GRⅢxが初めてだけど、こうしてたくさん撮って並べてみると、これは場の記録ではなく気持ちの記録だと思った。

広角レンズは、その場から見えるほとんど全てを写真に収められる。

40mmも昔の人からしたら広角寄りになるかもしれないけど、スマホの写真がマジョリティになった現代において40mmは狭い画角に感じる人も多いだろう。

「40mmじゃ全てを記録することができない」と感じる人もいると思う。

それゆえに、21、24、28mmあたりの広角は人気だし、スマホでもこのあたりのレンズを備えることが多くなった。

ただし、である。

いわゆる写真スポットというのはある程度掘り起こされ尽くしたというか、誰も撮ってない位置から写真を撮るのはほとんど不可能だと思うわけで、そのような何番煎じかわからないような位置から広角で写真を撮ったときには、ほとんどどれもが同じ写真になる。

その写真を数年後に見返して、これが自分の写真であるというのがわかるだろうか。

当時の気持ちが思い出されるだろうか。

もし思い出されたとしても、それがありきたりな構図だったら、それがそもそも自分の写真である必要があるだろうか。

……こんなことを感じたわけで。

この点、40mmにはある程度の「取捨選択」が必要になる。

この「何を写すか」と選ぶ行為こそが、気持ちの記録に繋がるなって、そう思ったのです。

歳を取ると画角も増していくとはいうけれど、今の自分には40mmがぴったり。

RICOH GR IIIx, 40mm, f4.0, 1/800sec, ISO100

次はどこに行こうか。

たぶん9月の訪れになる。風が心地よい日に行こう。