こんばんは。
あまり好きな街ではないので滅多に訪れない大阪です。
ただ、少し歩く時間があったので駅を中心に撮ってみた。
ビルは嫌いじゃないけど、頭に「高層」が付くとほとんど嫌いかもしれない。
どこからが高層なのか、ということを自分の感覚をベースに考えてみると、京都市で生まれ育ったことが大きく影響している気がする。
やっぱりあの街のビルの高さが一つの基準というか、「ビルというのは大きくてもこれくらい」という感性がある。
ということで、おそらく30メートルを越えてくると嫌悪感を抱く傾向があるのではないかと。
電車で訪れたとき大阪駅に降りて感じる疲労感は、どのビルも見上げる気がしないくらい高いことに起因する。
こんなことを言っていたら東京なんてもう地獄でしょうが。
上の写真、超広角レンズだったら上まで収まるかもしれないけど、もうそれって人間がひと目で見る視野を越えてるんだよな。
ということで、巨大建造物は部分だけ鑑賞することにしてる。
全部見ようとしたら疲れる。
文句をだらだらと書いたけど、大阪駅の屋根は悪くない形に感じる。
屋根の下の、手前の水平の構造。
これは必須なのかもしれないけど、なければもっと良かったかな。
そう、この写真の上の方にあるジグザグ。
ちょうど京都方面に伸びる線路を邪魔する。
モノクロで撮って歩くと、都会のノイズが減って少しほっとする。
少し角度を変えて、開発中のエリアも含めて縦構図で収めてみる。
そう言えばあのエリアはたくさん人骨が見つかったのではなかったかな?と思ったらそうだった。
死体が穴に重なって埋められた過去と、高層ビルに人が重なる現代って何とも言えないコントラストだな。
冒頭に、大阪駅に降りるとうんざりするってことを書いたけど、大きな屋根があることによって駅のホームの屋根はいい加減で良くなって、さらにはエスカレータに屋根もいらないということになってる。
上の屋根を写していないのに、視野の外に大きな屋根の存在を感じる。
開けた空間を見てほっとしようにも、(個人的に)並外れたサイズ感のビルが視界に入って萎える。
京都では決して見ることのないサイズ感で飛行機が見える。
憎きビルの隙間で尾っぽだけ捉える。
背景にクレーンがいくつも見える。
まだまだ上に伸びていく街。
久しぶりにマクドナルドに入ったら、何人かサラリーマンがいた。
こんなこと言うと田舎者の強がりみたいだけど、いくら貰っても都会で日常的に働くのはノーセンキューだなと。
これって振り返れば自分が大学生のときに思ってたことと同じで、当時も就職で都会に出ることを真っ先に選択肢から外してた。
環境が大きく変わっても変わらない自分があって「これで良い」と思った。
終わり。