こんばんは。
まだ11月は終わっていませんが、何となく一区切りな気分なので書いている。
ちなみに標題は「生きるか死ぬかの問題ではない、それは名誉の問題だ。」
騎士道における格言の一つであり、テレ朝のサッカー日本代表テーマソングとして使われてきたサラ・ブライトマンの曲「A Question of Honour」に通づる言葉でもある。
日本代表がシュート26本を浴びつつドイツに勝ったW杯初戦の歓喜と、京都サンガF.C.が辛くもロアッソ熊本と引き分け残留を決めたJ1参入プレーオフの安堵が11月のハイライト。
もう11月は終わって良いのではないかと。
名誉の問題においては、ある程度のそれは保たれた11月でした、と。
昨夜はウルグアイ対韓国の試合を観た。
日本の半分以下の人口である韓国と、30分の1程度の人口であるウルグアイ。
まさに騎士道というか、少数精鋭という言葉の重みを感じる。
日本代表は上手さを志向してるけど、強さを志向してる代表も観てみたいなぁ。
わざわざ丸1日平日に休みをとって紅葉狩りに行くくらいには老けたということか。
ただ赤いよりも、緑からのグラデーションであったり、時折見つかる黄色に惹かれる。
この2枚は毘沙門堂。
人が写っていない写真を厳選したから伝わらないけど、平日なのにそこそこ人がいた。
紅葉の絨毯がテレビなどでよく取り上げられる影響でしょうか。
個人的にはただ掃除してないように見えるというか、作為的な無作為、不自然な自然というか、小細工みたいに見えてあんまり好きではなかったりする。
ではなぜ毘沙門堂に行ったかというと、それは少年期のランニングコースであり、それなりに思い入れのあるスポットだからである。
大覚寺、広沢池は大学生になってから知ったけど、ここは割と京都観光の穴場だと思う。土産物なんかはほとんどないけど、静けさ、景観、空気の明瞭さは良好。
近代的な人工物がほとんど視界に入らないので、昔もこんな感じだったんだろうなって思える空間。
無駄にベンチなんかあんまり置いてなくて、観光客に媚びてないところも良い。
(これはケチなだけかもしれない。)
しかしながら、おすすめである。
ペラペラ喋りながら歩くんではなく、ただただ黙して、ゆっくりしたペースで歩いて、池をぐるっと一周回るのが最高なので、一人か、あるいは会話の必要がない人と行くべしと考える。
11月というのは大学時代以来、特別な地位にある月だったりする。
大学時代には毎年この月に学園祭があって、映画制作サークルにのめり込んでいた自分にとっては毎年この時期が青春バロメータの頂点になっていたような節があるし、何かと多感な年頃の自分が最も揺れ動いた月でもあったから。
上の写真の河川敷でも何度か撮影をした。
紅葉狩りに満足して自然と車を走らせたらここへ来た、ということで。
あいにくの曇天だったけど、当時撮影したときのような晴天に迎えられても学生時代との距離(ギャップ)が一層際立って打ちのめされていただろうし、ちょうど良かった。
街並みや沿道の店がころころ変わってて時の流れをまざまざと見せつけられるけど、隙間には変わらない風景も確かにあって、それが愛おしくなる。
すっかりおじさんだわ。
ここで撮影をしたのがもう11年前になる。
小学校生活のほとんど2回分と考えたら、ほとんど永遠にも思える長さ。
それでもこうやって、毎年のように振り返って訪れたくなる場所があるというのは、酸いも甘いも豊かな人生を歩んできたんだと思う。
残り数日の11月と、近づく冬の気配を味わいながら2022の年の瀬に向かうことにします。
公私ともども比較的落ち着いてきたので、自分の時間を大事にするよう努めることとする。
それではまた。