2020年11月の振り返り(というか雑記)

お久しぶりです、Marloweです。

さて、すっかり更新頻度が減ってる当ブログではありますが、先月の投稿でも書いたように、現在の低空飛行は意図的なところが大いにあるのです(言い訳も含む。)。

そうしたなかで、少し見えてきた部分があります。

11月最終日です。

追い求めていたものは何か

昨日は母校の大学の創立記念日でありました。

そして、大学の創立記念日の直前の数日間には、例によって学園祭が催されておりました。

映画制作をしていた私Marloweは、学園祭に向けてせっせと自主映画を撮り、上映会開催の段取りをして……と、青春めいたことをしていたわけです。

そんなこんなで、この時期には特に大学時代のことを思い出します。

映画を撮っていたのは何度かこのブログでも書いてきたことですが、今宵は久々に自分の作った映画を観て少し思うところがあったので、こうして書いている次第です。

少し思うところ、とは。

自分はある程度のアイデンティティ(自我)が確立してから、いったい何を心の底から求めていたんだろう?

こういう問いです。

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社会人になってからはまるで発揮していないような熱量

私が作っていた映画というのは、ほんと大した映画ではないんですよ、昨今の動画制作文化とは全く異なる情勢でしたから。なんせ、まだテープを使って撮っていましたから(いまはユーチューバーとか無数にいますし、市井の動画制作環境やスキルは当時と比べて圧倒的に向上しています。ちらっと所属していたサークルのTwitterも見てみたけど、自分がいた頃と比べてとても進化していて驚いているところ。ちょっとオタクっぽさが抜けて寂しくも感じたけども、それはまぁ良い)。

そう、とにかく自分の作った映画を観ていると、ふとしたワンシーンとか観るにつけ、どうして自分がこんなに熱量を持って、やる気を持って映画を撮っていたのか? 青春を追い求めていたのか? こういうことがじわじわと思い出されてくるのです。

今となっては「思い出す」ではなく「気づく」と言ってもいいくらい、忘れてしまっていたことでもあるのですが。

ほんと、すごい熱量なんです。そりゃ細かいディテールを観れば素人感と言いますか、荒削りという言葉では収まりきらない甘さで満ち溢れた創作活動ですが、セリフの組み立てとか、BGMの選択とか、細かいカット割や、ロケーションの選択、直接は見えてこない日程調整、天候との相談、スタッフとの関係構築など、出来上がった映画の背景にあるものがじわじわじわと思い出されます。

で、結局何を発見したかと言うと。

映画の場面それぞれにおいて、どれもこれも粘り強く「最高のタイミング」を待っていたわけでもなく、時間やお金が限られた世界において、とにかくベストを尽くそうとあがいて、結果的に「最高の1カット」はどのようにして撮られたかというと、ほんと偶然に、そう、まさに単なる偶然的に訪れて、貴重な1カットが収められているわけです。

最終的にはそのような「奇跡的な偶然」が積み上げられて、私Marloweの映画は完成されてきたわけです。

私Marloweが魅力されたのは、説明不能なある種、天からの贈り物、奇跡的な出来事として自分に訪れた1カットの数々なのです。

この「奇跡的な何か」に惹かれて、熱量が生まれて、自分の今までがドライヴしてきた気がします。

もちろん全てのカットが1テイクで収められるわけではなく、何十テイクと撮影を重ねることもあります。

でも、編集して積み重ねてみると、1+1が10くらいになったりするのです。

この感覚は動画編集をしたことのある人ならわかってもらえるかな。

この「奇跡感」は、とてつもなく強力な光を放っているわけです。

自分の熱量の根源にあったのは、何かに対する欲望とか、ストレス発散とか、恋とか愛ではなくて、「奇跡的な何か」を体験すること、まさにそれだったと思うのです。

価値ではなく、価値そのものの希少性に目を向けていた。言い換えれば、「天から落ちてきた何か」という対象ではなく「『天から落ちてきた』という事実そのもの」に目を向けて、生きてきたわけです。

だからまぁ、映画でなくても良かったわけです。奇跡っぽいことと巡り会えるなら何でも。

極めて俗っぽい言い方をすると、恋に恋してたということですよ。

サッカーも読書も恋愛も映画制作も、それ自体よりもむしろ、説明不能な発見、ある種の「訪れ」に惹かれていたんですよね、きっと。

仕事に奇跡はない

いま自分がしている仕事に奇跡的な何かがあるかというと、それはたぶんありません。

奇跡的な何かって、つまるところは1+1が3とか4になる、よくわからない化学反応みたいなものだと思うんですが、私の仕事は万全の知識さえあれば1+1がちゃんと2になる(逆に言えば2にしかならない)仕事です。プロセスが全て丸見えの行為なのです。

創作活動や恋愛(恋愛?)と仕事で決定的に異なるのは、そのプロセスにおいて奇跡を信じて良いかどうか、というところだと思うのです。

Marloweは奇跡を目指してしか熱量が発揮されない。

仕事には奇跡がない。

だからMarloweは、仕事に熱量がない。

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熱量を取り戻すためにどうするか

まぁ、とにかくもう一度「奇跡的出来事」を追い求めることでしょう。

何かを創ることもそうだし、人間関係においてもそう。

やっぱり熱量がない人生ってつまんないです。すごい発見をしたようで、言っていることは当たり前のことですが。

それぞれ取り組むこと、時間を割くことの先に「あっ、これって奇跡的だぞ」「この感覚は味わったことがない」「この感じ、この世で最も尊いことじゃないか」こういう感情になれることだけに集中すべきかなぁと思うわけです。

そのためには、下手な鉄砲数撃ちゃあたるではないけど、試行錯誤をやめないこと、同時に、無駄なことはしないこと、これに尽きるかなぁと。

その先に奇跡があるかどうか。

もしもないなら、それはやめる。

こんな感じのリトマス紙でしばらく行こうかと思います。

今年も残すところあと1ヶ月

ですね。何もしない2020年でしたが、最近ふと「山に登ろう」と思い始めたので、軽い登山を一つだけこなして2020年を締めたい(締めるほど始まってないけど)と思います。

それでは皆さんご機嫌よう。登山ログみたいなものが近々書けると良いなぁ。