20代も残すところあと14日

おはようございます。Marloweです。

3月は本を読まないと言っていたくせにやたらと読書に耽り、書くほうがあまり進まなかった3月です。まだ3月18日ですが、4月早々の自分の誕生日まであと14日であることからして、残された3月も光陰矢の如しで過ぎ去っていくことでしょう。

今日は特に投稿するネタがあるでもなく、ただなんとなしに文字を綴りたくなったのでストレッチをするように書き始めています。特に話題もないので、いつもの投稿のように章立てすることもせずにつらつらと書いていきます。仕事に向かうために喫茶店を出るまで30分程度ありますので、時間が許す限り。聴いている音楽のボリュームを上げて、コーヒーをぐいと飲んで、脳みそと指を高速回転させてみる。

いま頭のなかにあるのは、来週明けにおそらく示されるであろう人事異動と、4月からの生活がどんな感じなのかという見通しのなさです。自分のやりたいことをするためには秒針が進むよりも早く動くくらいの気持ちで雑多なタスクをこなし、思索に没頭するためのまとまった毎日の時間が必要になりますが、それが果たして叶うのかどうか──いや、叶うのかどうかではなく、どうにかこうにかして確保するのですが。それが朝3時くらいに目を覚ますような生活になろうとも、私はやり遂げるんだろうなあと思っています。いまは現に毎朝4時に起きていますので。

こうやって、少し先のことがうまく見通せないタイミングというのは、実は人生においてあまりないんではないかと思います。日常とはつまるところ惰性に似た習慣が成す瞬間の連続であるわけで、通常時はただ身を任せていればこんな風になるだろうという数日後、数週間後がそこにあるわけですから。

ただ。例えば職場の人事異動で自分の環境が変わろうとも、働く時間の絶対量で見ればそう大差ないわけで(意地でも残業はしない派)。仕事に対してほとんど魂を込めず、人間関係を全く持ち帰らない私にとってみれば、人事異動なんてものは違う色のTシャツを着るくらいの変化でしかないわけです。それで私という人間が大きく変わるわけではない。ありがたい環境です、はい。

そんな風に思っていると、冒頭に持ってきた始動前の車のスピードメーターの写真みたく「動き出す前のそわそわどきどきした感じ」を感じているいまこの瞬間というものの、実は誤った現状認識であって、変わることのない何かがこの先もずっと続くのではないかなあと、心が落ち着いたりもします。

こうして私はいつも、文章を書くことによって現状認識のブレを収めます。

私にとって書くという行為は、まだ何もないところに文字を落とし込むという「未来を想像する行為」と、書いた後の未来において「読後感を想像する行為」それら二つの行為が合わさった両義的な行為です。一度未来に行って、そのあとその未来からいまを振り返るのです。この逆方向の2つの動きを瞬間的に、連続的にし続ける行為が書くという行為です。

ふむふむ。こうして書いていると、頭が熱くなってきます。脳が温まっているのを感じられて、その疲労感は何とも言えなく快感なのです。たぶん4月以降はこの快感をとことん追求するために、もっともっとストイックになる必要があるなあと思います。煙草も酒も読書も(Marlowe的3つの悪です)4月からは絶とうかなあとぼんやり思ったりもします。

10代が終わる瞬間のことはあまり覚えていません。ただ、20代が終わるこの日々のことは忘れないように、記しておきたいなあと、そう思うわけです。

ここのブログを開設して以来、珍しくこうしてただ吐き出すだけの文章を書きました。ここまでであっという間の25分が経過しました。

やっぱり秒針よりも少し前に進むために、いつもより早めに仕事へ向かいます。ということで今日の投稿は終り。みなさんの慌ただしく辛い日々のあいだに、ほんの少しでも平穏な時間が訪れますように。