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日記というか月記に近いブログ

やっぱりチャーミングでなくちゃね──004冊目『さよなら、愛しい人』レイモンド・チャンドラー/村上春樹[訳]/早川書房/2009年

おはようございます。Marloweです。

前の投稿(『もうすぐ30歳の男が簡単に人生を振り返ってみる(前編)』)では「前編」と謳っておきながら、今回は読書感想文を書き始めています。時刻は朝の6時過ぎです。

今回ご紹介するのは、というか今回ご紹介するのも、レイモンド・チャンドラーです。マーロウシリーズは読み始めるとそこから抜け出すのが億劫になるほど面白く、次の作品へ伸びる手を止められないのです。

ということで、シリーズ2作目『さよなら、愛しい人(Farewell, My Lovely)』(1940)です。

3度目の通読。テープは書店で買ったときに付けられたカバーを固定するためのものです、より高い集中を求めて。

その後も、27歳の正月、2018年の1月にマーロウ病に罹っているようですが、私は頭ではなく身体で本を読むタイプ(?)なので、はなからストーリーの仔細を覚えようとしていない節があります。ですので、今回もほとんど新鮮な気持ちで読むことができました。

まず初めに文庫版の裏表紙からあらすじを引用します。

刑務所から出所したばかりの大男へら鹿マロイは、八年前に別れた恋人ヴェルマを探して黒人街にやってきた。しかし女は見つからず激情に駆られたマロイは酒場で殺人を犯してしまう。現場に偶然居合わせた私立探偵フィリップ・マーロウは、行方をくらました大男を追って、ロサンジェルスの街を彷徨うが……。マロイの一途な愛は成就するのか?──

レイモンド・チャンドラー『さよなら、愛しい人(Farewell, My Lovely)』村上春樹訳/文庫版裏表紙、早川文庫、2011年

読んだことのない人にとっては少し違和感のある文章だと思います。最後の文「マロイの一途な愛は成就するのか?」とありますが、マロイは悪人ではないのか? なぜ犯人である彼の一途な愛の行方を気にする必要があるんだろう──こう感じるのが当然でしょう。

今回は、単なるあらすじの巧みさを越えた、物語の妙について考えてみます。

物語が人に残すもの

もしこの小説の謳い文句が「大男マロイを、マーロウは捕らえることができるだろうか?──」で締められていると、ちょっと違うのです。今回の主役はマーロウだけではありません。あらゆる登場人物が愛すべき存在として君臨しているのです。たとえそれが悪人であっても。

訳者である村上春樹は以下のように言及しています。

最初に読んだのは高校生のときで、(中略)──話の細かい筋は忘れてしまったが、その二つのイメージがずっと頭に焼き付いて残っていた。そういうくっきりとしたいくつかのイメージを残していけるというのは、やはり優れた小説の資格のひとつなのではあるまいかと思う。読んだときは関心しても、あるいはそれなりに感動すらしても、ある程度時間が経過したら結局なんにもイメージが残っていないという作品も、世の中には決して少なくない。

レイモンド・チャンドラー『さよなら、愛しい人(Farewell, My Lovery)』村上春樹訳/訳者あとがき、早川書房、2009年

本を読む。劇的なあらすじに感動する──それで物語の役目が終わるわけではないと思います。いや、終わってはいけないとすら思います。良き物語は、そこに留まらない。チャンドラーの小説を読むと、作品ごとにくっきりとしたイメージを頭に植え付けられます。それは日常生活を営むなかでふとした瞬間、頭に浮かびます。

私は物覚えが決定的に悪いです。いろいろな思い出も、圧倒的な速度で忘れていきます。しかしながら、いくつかの強烈なイメージは私のなかに確実に杭を打って、消えることはありません。良き物語を読んだような余韻が、ずっと身体に残ることもあります。

結局のところ人生というのは、こういう濃厚なイメージの蓄積によって(良くも悪くも)総括されてしまう面があるよなあと、感慨深くなってしまいます。

イメージを残す人にならなくちゃ

人によって「良き物語とは何か」は異なるでしょう。私の場合は、人のなかに強いイメージを残す物語が、良き物語だと思います。ただの衝撃ではいけません。たっぷりとした時間の流れに耐えるものでなくてはいけない。

チャンドラーの小説を読むと、これはどの作品にも言えることですが、「何かしらの強いイメージ」が身体に刻まれます。これは私が日常を生きるにあたり、欠かすことのできない「彩り」です。ただなんとなく生きていると(時を越えうるイメージを得ないまま、あるいは与えないまま生きていると)薄っぺらくて凡庸な人間になりがちですから。

そして、良き物語を読み終り、チャーミングな登場人物に別れを告げると、私はいつもこう思います。

自分自身も、人に強いイメージを残す人間にならなくては、と。

この意味における「イメージを残す」というのは、「人に覚えておいてもらいたい。」ということではありません。

そうではなくて、目の前の人を退屈させないのは、一種の責任だと思うのです。そしてまた、目の前の人のなかに彩りを残せることは、一種のちからだと思うのです。

チャーミングな生き方をしないとね

マーロウシリーズはいわゆるハードボイルド小説です。その反面、我々の日常はマーロウの生きるそれほどに「ハードボイルド」ではありません。ナイフも銃も、そう簡単には出てきませんから。

でも、マーロウシリーズの「真のハードボイルドさ」は、暴力にあるのではありません。

人それぞれの背負うべき責任と、人それぞれに持ち得るちから──それらを追い求めるのが、マーロウシリーズの妙だと思います。マーロウだけではなく、登場人物がそれぞれ、善悪いろいろを含めた多種多様な「責任」と「ちから」に、こだわりをもっています。

この「こだわり」は、それなりに人生を費やして立ち向かい追い求めるべきものだと思います。その道中で訪れる悲しみや苦しみは時に我々をどん底に陥れますが、そこから逃げてはいけないなあと、自戒も含めて思います。

もし、こうやって逃げずに真正面から生きることができたなら──それはある意味ハードボイルドだと言ってもいいんじゃないでしょうか。私はそう思います。そして、同じようにハードボイルドな生き方をする人に敬意を示し、応援したいと思います。「その生き方、すごく魅惑的です、チャーミングですよ。」って。

──今回の作品からかなり遠ざかって話が逸れました。要は、今作『さよなら、愛しい人(Farewell, My Lovery)』もチャーミングな人物がたくさん出てきます、ぜひ読んでみてください、ということです(なんという紹介文)。

今回が10本目でした

さて、これが当サイトの記念すべき(?)10本目の投稿となったわけですね。何か継続するものの節目を祝うと自分も老いたなあと思ってしまいますので、あまり大げさなことは言いたくありませんが、「継続は力なり」というのは私が信頼する定理のひとつです。肝心の筆力は上がっているのでしょうか……いや、まだまだですね。もっともっとチャーミングにならなくては。

とにかく、これからもがんばります。30歳の振り返り云々はまた今度に!