「受け入れがたい事実」は誰しも直面するものです。
最近の自分は「本を読めなくなった」という受け入れがたい事実に直面し続けてる。
こんな風になって久しいので、実はもう受け入れてしまっているけれど。
少し昔のことから順に振り返って、考えてみる。
本を読みだしたときのこと
自分が(自発的な)読書をし始めたのは高校2年生の終盤。
平成20年1月20日であることがわかってる。
記憶のディテールはさすがに欠如してるけど、山科駅の前にあった「ふたば書房」で購入した村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が初めての読書体験である(裏表紙に日付を書いていた)。
そして記憶するに、ここから高校を卒業するまでに年間100冊以上を読んだ。
当時、読書はこれほどにも人を成長させるのかと衝撃を受けた。
同時に、ただ日々を過ごすだけではほとんど成長しない(!)ということも知った。
青春の要素が散りばめられていたはずの高校生活だが、過ごし方はがらりと変わった。
社交性はほとんど0に等しくなり、アルバイトを始めた。
当時付き合っていた彼女と放課後を過ごすか、あるいはバイトをするか、それ以外は全て読書という日々だった。
中心にあったのは、ほとんどが小説の世界。
彼女と喫茶店で過ごすときも読書してたような気がする。
プライオリティのリストはてっぺんからほとんど下まで「自我」が覆い尽くしていた。
それを補強したり破壊したり、再構築したり歪めたり。
「読書」に勝る行為はないと信奉していた時期だった。
大学生のときと、フリーターのときと
大学4年間はひたすらサークル活動に明け暮れていた、ということは以前にも書いた。
高校時代にひたすら読書をして、大学時代には何となくアウトプットをしたくなったことに起因する。
この4年間の在学中、アウトプットという映画制作に夢中になりつつも、電車に乗るときはほとんどいつも本を読んでいたし、下車してからも大学までの徒歩20分あまりを書物を手に歩いていた。それなりの学校に通うことができた、贅沢な二宮金次郎です。
どれだけ読んでも吸収力が落ちなかった。
常に乾いたスポンジが、活字という水分を吸収し続けた。
大学を卒業してからも同様に、知らないことを知るため、考えるための材料を得るため、答えを見つけるため、ひたすら2年間読書を続けた。
高校や大学のときよりも一層に孤独で自由な日常だったので、それまでよりもうんと分厚い本をたくさん読んだ。
自分にもし教養があるとすれば、この2年間に養われたものだ。
学ぶべき事柄の多さに圧倒されていた時期だった。
サラリーマンになって
仕事が日常の大半を占めるようになってから、読書の質と量が一気に落ちた。
当然といえば当然なんだけど。
時間があるときですら、吸収力の落ち方がひどくて、読んでも身にならないし、感動も薄い。
そしてついには本を読めなくなった。忙しいのもあるけど、スポーツで言うところのイップスみたいな、そんな状態。
当初は受け入れ難かった。
あまりにも長い期間、ほとんど唯一の趣味として読書を中心に生きてきた自分にとって、日を追うごとに本を読めていないことを意識する日々はつらく、どんどんバカになっている気さえしていた。
大学卒業前に思っていたとおり
実を言うと、サラリーマンになると本が読めなくなり、日々自分が退化していくことは、大学生のときには察していたことである。
だから卒業してすぐに就職せず、2年間だけモラトリアムを延長し、教養の貯金をしたという経緯がある。
就職する前に、何度も確信した。
「今こそが一番賢明な自分だ」と。
社会に出ても劇的な成長が望めないことや、思考や思想が鈍っていく一方であることは何となくわかっていた。
昔、激しい大学紛争をした学生らと同じように、4月になってスーツを着てしまえば途端に世界にまーるく絡み取られてしまったんだ。
もう一度インプットの質を上げて、アウトプットもできるようになる
今日は西陣のエリアをふらふらと写真を撮りながら歩いて、賢明だった頃の思い出と現在を照らし合わせていた。
当時を振り返り、現在と比べてみて思ったのは、やっぱり自分は悪い意味でかなりマイルドになってるけど、昔の自分がどんなだったかを体感として覚えていることは財産だな、ということ。
今となっては読書の感動をすっかり失ってしまったし、そのことには慣れきってしまったけど、このままじゃ本当に退化しながら40歳50歳を迎えそうだという恐怖心を覚える。
この恐怖心を、新たな「渇き」に変換するのが正解かと。
望む日常を手繰り寄せるために、もっかいねじを巻いて、確かな渇きを抱きながら頑張ろうと思った8月の下旬。
ポトスは毎日のように葉を増やし茎を伸ばす。
自分も些細な事柄でもいいから一つひとつ学び、考えないと。
少し早いけど2022年の8月の振り返りに代えて記しておく。