2025年2月の振り返り

こんばんは。

すっかり二月も終わった。そして全く間に合っていない振り返りを書くこととする。冒頭、雪景色ではあるけれど、今年はいったい寒かったのか寒くなかったのか。おそらく、雪が何度か降って比較的寒かったほうだったのだろうけど、体感としては暖冬。着込むのすら面倒で、薄着で通した冬だった。職業柄あまり外に長くいなかったこととか、色々要因はあるんだろう。

いわゆる「どか雪」を望んでいたけど、叶わず。でも、雪景色を撮ることはできた。

気温に関して。

暑いとか寒いとか、そういう「感度」がそもそも衰えていることが原因なのかと思って、老いを感じる35歳の手前である。試しに昨年のブログを読んでみるとランニングを再開している。走るか……?いや、どうだろう。

生まれてこの方、雪と縁のない地域に居続けてきた。自分の感じる雪と、豪雪地帯に縁あった人にとっての雪とは、同じ雪ではないのかもしれない。希少性を喜べるくらいで留まっておくのが何事も良いのかと思いつつ、飽和に飛び込みたくなるのが自分の性で。

久しぶりの友人に会う機会があった。会えば大学時代の日常に戻って、懐かしさではなく、感覚すらタイムスリップしてしまう。そしてつい昨日、大学を卒業したかのような気分になる。田舎に帰って自然と方言を口にするように、彼らに会えば自然と大学生になっている。やっぱり懐かしさはない、すっかり戻る。そして別れれば今に戻る。

部室の集まった建物──そこら辺で煙草を吸っていたのにもう吸えなくなっていて、いまこの時代に自分が大学生だったらどんな四年間になるのだろうと、煙草以外のことも含めてぼんやり考える。映画を撮っていたけど、動画を撮ること自体の身近さが当時と異なる現代で、何をするだろう。この「何」は「今こうしてサラリーマンをして生きている日常の余暇時間に何をするだろうという思案」の相似形でもある。芸術はやっぱり制限とか苦悩とか、不全感とか、乾きとか、怒りから発出するんだろうなと、突拍子もないことを思うに至る。それらが今はない。そして、現代の大学生にないのは、何だろうと思う。ドーナツがドーナツたる所以はその穴(不在)の存在であるという逆説性に思いを馳せつつ、年度末の忙しなさに身を委ねてみようか。

35歳の誕生日を前にして思うところは、三月中に機嫌厳守で、いや期限厳守で書くことにする。それではまた。