こんばんは。
先日、無事に誕生日を迎え33歳となった。そしてこれからの1年を思い巡らせながら書いていたところ、坂本龍一の訃報があって。すっかり筆が付かなくなって、10日あまり。そういえば昨年もこんな春だったと探してみると、見田宗介のことを書いていた。
知人以外の死に起因して心がずーんと落ちることはそう多くない。
坂本龍一の音楽は多感な思春期に、特に落ちているときによく聴いた。YMOよりも、坂本龍一として。彼の作品が「いま生きている人の作品」から「もうこの世にはいない人の作品」に変化してしまったことが残念でならない。坂本龍一が最後に桜を見れたならば、と思う。もし見れたならば、いつもより早く訪れた春を愛おしく感じることができるなと、そういう心境であって。とりあえずこんな冒頭を書き始めて日が経ったので、気持ちを切り替えて自分にとっての春と、桜とを振り返る。あと、ついでに33歳の展望を試みる。
今春は初速が早かった。3月はまだ仕事に余裕があったから、おかげでたくさん写真を撮ることができた。最近導入した5D Mark Ⅲと、もうすぐ1年になるGRⅢxの二刀流でスナップに出かけた。
つい坂本龍一の音楽を聴きたくなってしまうけど、ここは3月の個人的なヘビロテだったこれを聴きながら。
新作が発売されなくたって、自然と春はくるりの声が聴きたくなるもので。
3月は卒業式シーズン。毎年思い出すのは大学の卒業式。高校の卒業式はあまり思い出せない。中学校と小学校は数シーンずつ覚えている。いずれにせよ、この3月から4月という時期は嫌いじゃない。当たり前の日常が確実に過去になる感じ。儚くも、これがないと駄目で、そうして私は年を重ねる。
この日のGRⅢxは全てJPG撮って出し。全て「ネガフィルム調」で撮った。と言ってもカメラ通の人以外にはわからない話かと思う。要は後処理をしていなくて、ごまかしが利かない撮り方ということ。
加齢のせいか食事も写真も薄味が好みで、コントラストの低さが丁度良い。これからの1年を色味で表すならこんな感じか。
キヤノンのほうは、まさにキヤノンという感じでこってり気味。あとから彩度とコントラストを少し落とすくらいが好みの色味。30歳を過ぎてからの傾向。
この日は圧倒的に5D Mark Ⅲで撮った写真が多かったけど、ヒット性の当たりはGRⅢxのほうが圧倒的に多い。ファインダーを覗いて絞りやシャッター速度、露出を設定しながら撮る技量がまだまだ足りていないということか。もちろん撮ってて楽しいのは5D Mark Ⅲであって、このあたりは明確な一長一短を感じる。
5D Mark Ⅲに付けてるレンズは隠れLレンズと言われつつも結局はズームレンズなので、単焦点ほどの解像度は求められるものではない。単焦点はつよい。自分自身も、ズームレンズ的に幅を効かせて器用に立ち回るよりも、単焦点的に取捨選択して生きるほうが性に合ってるよなぁ、なんて。
自分の誕生日の時点で満開なのは珍しく感じる。というか記憶にない。これがいつか3月、2月と遡っていくこともあるかもしれない。昔は4月に桜が咲いていたものだよ、って。
──ちなみに、この日は15kmほど歩いた。南禅寺から京都駅、その後また御所あたりまで戻って、市役所まで歩いて。一番綺麗だったのは木屋町通かな。
フルサイズの一眼レフを下げていると、観光客にすぐシャッターを頼まれる。来春は頼まれたとき「私のカメラでも撮って良いですか?」ということを英語なり中国語なりで申し添えようか。
小春日和で、桜も満開で、カメラも楽しくて、普段なら到底歩こうと思えない距離をてくてくと歩いた。「歩ける街」であることが京都の好きなところだ。ここまで歩いてまだ足らず、母校まで地下鉄で北上。
卒業式は1週間ほど前に終わっていた。多くの下宿生は京都を去って新天地へ。在校生も実家に帰るなどしているだろう時期。冒頭でも書いたけど、ありふれた日常が確実に過去になっていく様をありありと感じた。自分が卒業したのがちょうど10年前、しみじみする。一年間の学問が終わり、並ぶ建屋も一息ついているような佇まい。
5年とか10年という長めのスパンで人生をまとめて振り返ったり、はたまたこれからを展望することは今までなかったけど、試みてみる。
まず過去。今日までの大学卒業以来の10年間について考えてみると、これは一つの過去のまとまりとして整った形をしているように思う。ただ、いざ振り返っても、結果的に「今のここまで」来たことが良いとか悪いとか、そういう総論的な評価は全くできずにいる。まぁ悪くない、とは思うけど。ふと思うのは、ここまでの変化に富んだ5年ないし10年は、これからの人生に於いてよっぽど能動的に動かないと起こり得ないよな、と。これまたそれが良い、悪いという話ではなく、事実として。
そして未来。これから5年、10年というのも過去のそれほどには変化がなくとも、不確定度合いとしてはあまり変わらない印象。たぶん目に見える劇的な変化ではなく、目に見えない変化が少しずつ日常を変えて、いつしか振り返ったときには全く違う様相をしているような、そんな種類の変化がこれからも続くのかもしれない。いずれにせよ33歳という年齢に無理やり意味を付与するとすれば、「次の10年の始まり」ということになるんだろうなと、意味もなくかっこつけてみる、うむ。
坂本龍一が生前好きだった言葉をある報道で知った。「芸術は長く、人生は短し」というもので、ラテン語の《Ars longa, vita brevis.》という言葉から来たものそうな。
冒頭でくるりを聴いていたのが、結局お気に入りの坂本龍一のアルバムに変わっていた。昨年以上に、しっとりとした1年の始まりになった。4月からは仕事の環境も変わって色々と慌ただしい側面がありつつも、根底には確固とした穏やかさがあった。
悪くない春と、桜だった。
この悪くない、というのは自分的には最上に近い表現だったり。
もうしばらく春の名残を噛み締めつつ初夏に向かうことにする。