さて、とても久しぶりの投稿になった。
これまで概ね月ごとに書いてきたところ、もう開き直って数ヶ月、書かずにいた。そして今日、いよいよ大晦日になっている。2024年が終ることに関して何も思うところはないし、そもそも何かに関して思うところ、考えるところという、日記以前の素材の部分から放棄してきたので、当然のことではあるけれど。
マイナスでもなくプラスでもなく、ただ力を抜いたらそうなった。
自分という一直線を生きているようで、実はそこに合理も整合性もなく、ただ個性という単語の接着剤で直線的に捉えがちなことを改めて念頭に置いてみる。
昨年くらいからそんな感じだったのか、もう読み返すのも面倒でよくわからないけど、何か言葉を記そうという試みから距離を置いてみたとき、どうあがいてもコップが満タンにならない感覚を覚えることがあった。これまでも、そしてこれからもきっと。因果関係はわからないけど、何かを書くことはライフワークのようなものだった側面がある、かもしれない。
ただ、以前の自分のような(以前って、いつだろう)頭が実際にねじれている感覚になるくらい、眉間の皺がそのまま顔に残ってしまうような感覚になるくらい、何かを考えていたときの自分と比べて、いま、そうではない自分を以前の自分の延長線上に置いたとき、これが良い状態なのか悪い状態なのか、いまいちよくわからなくなってくる。
というよりも、そもそも良い状態のときって、あったのか。
そんなものはなかった、という前提に立つべきなのかもしれない。
言葉と離れて、こうして久しぶりに言葉を記すとき、そこそこクリアに物事を捉えられているような気がしないでもない。
秋が短くなったように感じているなかで、今年は12月くらいまで紅葉を見ることができた。
寒さに弱くなってきている。体調を激しく崩すことはなかったけど、みなぎる元気があったかというとそういうわけでもなく。
年初から初夏にかけて養った体力の貯金はちょうどなくなった感じ。
今年はブログをあまり更新しなかった。
2023年が15回、今年は18回。最も多かった2020年は33回だから、大体半分くらい。
しかし、写真は撮るようになった。撮るといっても、何千何万というわけでもない。来年はもっと撮りたい、と思えるようなカメラを今月買った。さよならCanon、こんにちはNikon。やっぱキヤノンじゃなくてニコンだよなぁ。
カメラに何を求めるか、というのは隣の芝は青い理論よろしく、常に変遷するものだと思うけど、このNikon Dfは「なぜ今までこれを使わなかったのだろう」というくらい、終着点感がある。もう一個買おうかと思うくらい。
写真を撮ることに関しては自分より腕の立つ人がいるので、近くにいると引き上げられるような気がする、これも役得というのか。
自分にしっくりくる画角というのも、いまいち見つかっていないけど、来月、というか来年は85mmで行こうと思う。(あと50mmと、GRⅢxの40mm。)
錦市場もすっかりインバウンド向けの通りになってしまって日中は歩く気がしないけど、閉店してからの雰囲気は昔と同じだった。
今年どうだったとか、来年どうするとか、そういうのは何もないけど、何か良い方向に向けばいいなと祈っておくことにする。
それでは皆さまよいお年を。