出落ち感のある写真。
※今回の投稿は画像のアップロードを間違えてしまい、画像がとても小さくなっています。拡大しなければ大丈夫だけど、一応。
6月に入って早速「仕事休もう」と思い立ち(思い立ってばっかり)またふらっと写真撮りながらお散歩。軽い調子で書いてるけど、そろそろ長距離を歩くには暑くなってきた。
実はこの日も暑すぎて行くのを一瞬躊躇ったのである。
しかし「そうだ、あそこ行こう」ということで、今回も比較的ノスタルジックなエリアをチョイスした。
今となっては優位性を失った「桃山御陵前」
「桃山御陵前」
これは近鉄京都線の駅名だけど、自分のなかではこのあたりのエリア自体を指す。そして母校を同じくする同志社大学出身の人(特に文系特有のキャンパス移動があった時代の人)なら、通称「ももご」として呼ぶエリアでもあるだろう。
ももご……懐かしい。
写真は大手筋商店街の入り口。入り口に踏切!しかもちょうど坂になってて、時をかける少女が連想されたりする。
ということで、
今となっては文系は今出川キャンパスに4年間通い、京田辺キャンパスにはほとんど通わないのかな?
私のときは1,2回生時は京田辺で学び、3,4回生時が今出川で学ぶ、という時代だったので、法学部だった私はもれなくこのコース。
この点において「ももご」はとある優位性を発揮する。
それは「4年間下宿をして通学する場合、引っ越しをしなくても済む(かもしれない)」ということ。
サークルにおいてもこのエリアは優位性を持っていて、ももごの住民はどちらで開催されるイベントにも参加しやすいし、あとはどちらからも家に人を集めやすい、ということがあった。
うーん、懐かしい。
京都駅から近鉄京都線に乗って京田辺キャンパスに通ってた自分にとって、近鉄京都線というのはあまり途中下車したくなるような駅もなく、ひたすら読書に浸る時間だったわけだけど、この「桃山御陵前」には割と惹かれるものがあった。
商店街に関しては、社会人になってからも仕事で何度も足を運んでいたりするなぁ。
見ての通り、まず人が多い。
地方においては死語ともなりつつある商店街に、人が多い。
先日、久しぶりに行ってどうかなーと思ってたけど、やっぱり多かった。
なぜだろう。まずもって喫茶店とかが多いことがあると思うけど、それにしても。
まぁともかく、今もやっぱり自分の心を引くものがあって(毎日生活すると嫌になることもあるかもしれないけど)そこそこいいところだと思った。
桃山御陵前といえばこの風景、という1枚。
近鉄京都線の高架下。
こないだの哲学の道ではないけど、私が感じるにはここが異界への入り口。
高架下をずんずん歩いた先のエリアで、先輩の映画撮影に参加したり、それから間もなく自分の初めての作品を撮影したり。
今回は思い出を頼りに、地図を見ずに散歩した。
あまり詳しいことはわからないけど、あるはずの橋脚がないではないか。
川の水量が多い場合はこうやって作ることが多くて、それ故に過剰とも思えるような構造が必要となるらしい。
国の登録有形文化財らしい。詳しいことはこちらで……。
ロケ地はどこだ
おそらく、最後に来たのはまさに自分が撮影したときで、10……13年前…?
なんてこった、という感じですが、たぶんそう。
19歳のときなので、たぶんそうです(信じたくないから何度も「たぶん」って言う)。
上の写真のあるエリアで少しダベった記憶があるから覚えてたけど、ロケ地が見当たらない。もう少し川下であることはわかりつつも、こんなに遠かっただろうか。
写真を拡大すればわかるけど、中央やや右下に2つの塔がある。水門なんだけど、まさにこのあたりが昔のロケ地。
まじかよ…こんなに歩いた記憶全くないぞ…?という感じ。
いや、ほんとに歩いた記憶がない。
カメラに三脚、レフ板にマイクに…機材をたくさん持ってたろうに。
仲間と談笑しながら歩いたのは想像に難くないから、きっとそれが愉しくて距離なんか気にならなかったんだろう。
若いな。青春だわ。
いつぞやの豪雨で崩落したのか。川辺の木々も伸び放題だったり、いろいろな自然の変化がまとまった時の流れを感じさせる。
河口(大阪湾)まで44.0km、ということ?こんなのはなかったし、舗装も綺麗になってる。
学生で撮影をしていた頃は、あまり風景などに目をやることはなかったのだろうか。
それとも記憶に定着しなかっただけで、当時の自分はいまと同じように風景を眺めていたのか。
わからないけど、たぶん前者。
目の前に多くの刺激や楽しさがあったのかもしれない。風景に目をやる必要がなかったのかもしれない。
こころ穏やかであることに価値を見出すにはまだ若かったということ。
かなりの距離を歩いて到着した。とある河川管理用の橋。
ここが私の処女作で撮影した映画の、いちロケーションです。
もっとも映えるシーンであり、ストーリーの転換ともなるシーンを撮ったところ。トイカメラでクランクアップの写真を撮ってたおかげでメンバーも覚えている。
Marlowe的青春の原点とも言うべきロケーションだなぁ。
懐かしい。
と思っていた矢先、冒頭の写真。
大事なことなので2回貼る。
直前の10年はその前の10年と同じくらいに激動の10年だったと思う。個人史ではなく日本史として。なかでも、多くのパブリックな施設が老朽化を原因に閉鎖されたりして、更新が追いつかないという現象は全国各地で見られる。つまり、管理瑕疵ということにうるさい厳しい世間になったということがここで言いたいこと。SNSなんかですぐに有る事無い事広まるからね。
もう肌感覚として慣れていることだから、久しぶりにここへ来て「通行止」となっていたことに納得すらしてしまう始末。
──時計を反対に回すことはできないよ、と看板は言った。
そうだよなって、頷いた──
ここで通行を止めるか、新たな道程を行くか。はたまた新たな橋を架けるか。
桃山御陵前といえばラーメン「大中」。
平日の午前だったけど開店と同時に店内は満席近くなっていた。
暑すぎたのと、ミネラルウォーターを飲みすぎたので、ラーメンどころではなかった。無念。
次これを食べるときには何かを成し遂げた自分へのご褒美ってことにしよう。
その昔、志半ばにして倒れた幕末の志士がいて、その人を坂本龍馬という。
現代の寺田屋を見て、じわじわと感じるものがあった。というのが締めくくり。
商店街、近鉄、京阪、川、酒蔵、団地などなど、色んなものがクロスして歴史を織りなすエリアなので、歩いていて退屈しないスポットである。
また行こう。何年後だろう。