五月が終わろうとしている。
もう何度も書いているように、夏が苦手だ。
ただ、5月はぎりぎりオーケーである。思うに、5月というのは12ヶ月でいちばん季節感が曖昧な時期ではないかと思う。個人的には春でもないし、夏でもない。人によっては「もう夏だ」ということになるかもしれない。でも、これを夏だと言っているようじゃ私は夏を乗り越えられない。
この五月という、いわゆる初夏(ということにしておく)の季節をひとまずポジティブに受け入れることが、夏を乗り切るコツではないかと思い、仕事を休んでふらっと散歩をしてみた。
カメラがあるからフットワークが軽くなる。これはとても重要なことです。
京都駅から東へ、北へ
京都駅から東に行き、高瀬川のあたりから北へ上がっていく。私は全く縁がありませんでしたがここは昔、花街だったエリアです。
近代化とか高度成長とかバブルとかインバウンドとか、とにかくすごい勢いでスクラップ&ビルドされてる京都市街ですが、こういうエリアは時間の進み方がとてもまともに感じます。
電線が地中化されていなかったり、他にも色々なことがあって、ここに住む人はそれなりに不自由していることもあるかもしれないけど。
緑が多くて、静か。歩いていてじわじわと感じるものがあります。
例えば「清水寺」みたいな観光スポットでももちろん歴史を感じられなくはないけど、なんだか人の手が入りすぎてるし、観光客を食いものにしている歓迎してるムードも強すぎて、どうも落ち着かない。まぁそもそも人が多いところが嫌いというのは1点、私の特徴でもありますが。
こういう町並み、歩いてて視線に入るものの音だけが聞こえてくるような静けさ、これがまっとうに感じます。
京都駅から歩き出すとついつい東へ行ってしまう。
緑があるのと、目に見えない何かを感じられるから。
歩いたら汗ばんだので、京都駅に戻ってきて喫茶店に入った。貴重な喫茶店。
ひとつの街でもほっとするエリアと、いてるだけで疲れるエリアがあったりで、自分も随分年をとったんだなと思った。まだ32やけど。
クロップ撮影といって、トリミングにはなるけど望遠っぽい使い方もできる。70mm相当は割と便利。
ちなみにこのビルは世話になったブライダル会社のもの。街なかにあってもネイチャー感?を大切にしようという姿勢は感じる。ただ、観葉植物が生け捕りにされているようにも見える。あらゆるものはその見方次第。
哲学の道
さて、私が京都で最も好きなエリア。
この哲学の道もそれなりに観光で人気なので、平日に行くことを強くおすすめする。それも午前中が良い。それとて観光客や修学旅行生はいるけど。
基本的に住宅街なのでいたって静か。そこそこ古いレジデンスもそのまま使われてて味がある町並み。あと、銀閣寺が近いのでそれなりにお店はあれど、哲学の道の雰囲気を決して台無しにしない営業の仕方で好感が持てる。
この辺に住みたいなぁ。
ちなみに哲学の道のイントネーションは非常に大事。「哲学」のイントネーションと「哲学の道」における「哲学」のイントネーションは全く異なるので注意しよう。「あっ、この人は他所(よそ)の人や」とお里が知れます。私もいわゆる他所の人でしょうが。
このエリアに来たら外せないのが法然院。佇む(たたずむ)という言葉は京都の紹介ですごく多用されるけど、法然院はキングオブ「佇んでる」。
ここも人が少ないときに来ないと駄目です。
(朝6時から門が空いています、ここだけの話。)
普段から自分が、如何に(自分も含め)俗物に囲まれてるのかってのを思い知らされる空間。日本人はやっぱ米やろ、というのと一緒で、本来の贅沢ってこういう時間やろと。スマホとApple watchを持っていることすら恥じたくなる(大袈裟)。
てくてくと哲学の道を歩いてるのと、法然院の静謐さとかで心が洗われた。
法然院からの十字架で違和感はあるけど、近くにミッション系の学校がある。このエリアに通えることが羨ましい。
哲学の道は小高いエリアにある。
坂を登ってくる感じと、降りていく感じがとても身体にしっくりくる。地続きやけど空気が全く違う。中二っぽく言うと異界に行って帰ってくる感じ。
一財を築いたらこのエリアに居を構えよう、それしかない。
ほら、割とレトロで昭和感のある叡山電鉄すら俗っぽく見えない?(言い過ぎ)
この東西に走る御蔭通りもお気に入りだったりする。東から西に走ってくと下り坂になってて、風景にグラデーションがある。最後はガソリンスタンド。
ということで、ひとりブラタモリしてきた。
やっぱカメラがあると散歩しようと思うし、GR3xやとカメラ持っていこうと思える。
次はどこに行こうかしら。