こんばんは。
今日は12月7日の水曜日。
この投稿は2022年の振り返りということで、じっくりと時間をかけて添削し、完成するときにはきっと大晦日近くになってるだろう。
2022年1月からの投稿から順に読み返しつつ振り返ってみる。
買ったもの
ライフイベントやビジネス上の浮き沈みがほとんどなかった年。
さっと振り返って大したことがないので、ひとまず有り体な話題として買っ(て良かっ)たものについて考えてみる。
傾向としてはとにかく長く愛せそうなものを選ぶというのが、消費生活における基本理念。今年は身の回りで使うもの、特に毎日使うようなものをいくつか更新した。
- RICOH GR Ⅲx
- Macbook pro 14inch
- Apple watch(もう旧式だからリンクなし)
- ブリーフィングのトート
まず、GR。
カメラがあることで休日の過ごし方が変わった。
単純に街歩きや散策をしようという気分になった。
まだまだ使いこなせていないというか、40mmをものにできていない気がするけど。40mmのGRで撮った写真はいかがでしょうか? この画質がポケットに入る。片手で持てる。最高。
先日訪れた、瀬戸内海。
瀬戸内海は「海感」が乏しい。
島が見えるし、たとえ見えなくても、その先に陸地があることを意識する。
学生時代には何度もフェリーに乗って九州に行った。
ここは海は海でも海らしくなくって、水路という感が強い。九州への道。
ここを東に西に運ばれたときから、随分と歳を重ねたものだわ。
港町はロマンがある。でも住みたいとは思わない。デートするくらいがちょうど良い。
一人で訪れるのはもっと良い。
PCは必需品なので寿命も考慮しての更新。MacからMacなので目新しさはない。書斎では外付けディスプレイ、ワイヤレスキーボード&トラックパッドの環境ゆえ、持ち出したとき以外は直接触れていない。キーボードの打鍵感は良くなった。
Apple watch に関しては、スマホを見る時間が減ったことが◎。機能の全ては使い切れていない。通知を逃すことがほとんどないし、不要な通知も軽くスルーできるのが精神衛生上エコ、これに尽きる(≒活用し切れていない)。
とはいえその一方で、手首にまで電子機器を付けていることの嫌悪感を時折感じないでもない。そんなこともあって(仕事中は至極便利だけど)休日にはつけてなかったりする。
そもそも、重要な通知なんてないんだと開き直ってる。
時計はそもそもの目的として時間と日付くらいを切実に(切実に?)教えてくれたらそれで充分。頭の片隅では機械式の腕時計でも買おうかと思ったり。
捨てて良かったもの
買って良かったものを振り返っていて思ったのは、捨てて良かったものリストというのも記録しておいて有益じゃないかと。
比較的モノへの執着が薄いので、数ヶ月使わなかったものはどんどん捨てる。
ふと発掘されて「ここ1年で使ったか?」と振り返って、触れてすらいないものは迷いなく捨てる。今年もたくさん捨てた。
捨てて良かったものリストを書こうと思ったけど、すっかり筆が止まってしまう。モノだけでなく記憶も消え去っている。「あれは捨てなければ良かった!」と思うこともないから問題はない。
というかそもそも、パーソナルスペースから消し去ることが目的で捨てるのに書き記す気はない。
サッカーのあれこれ
今年はW杯イヤーだった。観たけど、やっぱり力の差は歴然とある。結果以前に、うっちゃりみたいな勝ち方ではなくて真っ向勝負、ポゼッションを捨てずに戦ってほしかった。森保ジャパンというか、JFAは結果至上主義だった。
まぁそんなことはさておき。
W杯以上に、京都サンガF.C.が久しぶりにJ1に挑戦した年だった。W杯よりもサンガのほうが関心事。結果としては、ロアッソ熊本との昇格プレーオフまで戦い、最後の最後に決めた(=最後まで決めきれなかった)J1残留。
1つひとつの試合にフォーカスすれば、昨年までのようにJ2で必死に昇格を目指してたときの勝利と、J1で残留を目指してるなかでの勝利とでは、前者のほうが3倍くらい嬉しかった。
来年は一桁順位を目標としようか。それくらい目標が高くないと、1つひとつの勝利が喜びとして身体に染みない。この目標が2023年のどの季節まで生き続けるか──そうそう、先日発表された平戸太貴の加入は最高だし、ずっと来てくれないかと思っていた選手なので、彼に対する期待は絶大。町田の王様から京都の王様へ。本当は10番の福岡慎平が王様にならないといけないけれども。
仕事とか
結論としては、これまでのサラリーマン生活において最も「ノンストレス」な1年だった。しかし──だから何、ってわけでもないのがポイントだと思っている。
ストレスがないのはビジネス的な観点からするとnot so goodだろう。
ストレスのないところに努力や成長はないから。
しかしながら、仕事で「自己実現」や「やりがい」は自分には存在しない。
組織で働くとすれば、今の職場はベストだと思う。
なんかこう、人生をまるっと振り返ったときに、最も平和なところに着地してる感はある。でも、ここがとても重要だけど、脚本としては三流。
なんてったってドラマがない。起承転結の転を欲してる。なんなら承もない。起・結。
自分自身について
冒頭で、ライフイベントの浮き沈みがなかったと書いた。外面的なものだけでなく内面的にもずっとフラットだった。これはとても珍しいこと。
よく言えば「落ち着いた」
悪く言えば「つまらなくなった」
今の自分に何が必要なのか腰を据えて考える必要がある。
2022年の師走
無難な1年だった一方で、人としての積み上げや前進もほとんどない1年だったということをじわじわ痛感してる。とはいえ、平和で落ち着いた年を過ごしたことをポジティブに捉えるとすれば、もはや人生に大きな起伏がなくとも退屈で死ぬことはないんだろうなと、ある意味の成熟を感じていないわけでもない。(退屈で死ぬことはなくても不完全燃焼という念は残る。)
ただただ、自分にとって2022年は後退だったねって、そういう所感。
ざっくり総括すると、ありふれた中年男性というフェーズに入ったんだって。これからどうしよって思案してる今月。
ボーナスやらクリスマスやら、何となく自分にご褒美をしたくなる月でもあって、最近はオーディオ機器への関心があって、イヤホンやらヘッドホン、アンプなどを物色している。
よく聴くのはクラシック、今月はラフマニノフ。ピアノ協奏曲ではなく交響曲。
上の写真にもあるように、先日は京都BAL丸善を久々に訪れた。背丈以上の本棚に囲まれる大型書店で圧倒的な知識の壁に押しつぶされる感覚であり、高校生の時しょっちゅう抱いてた感覚を欲して。なんとか呼び起こそうと試行錯誤して。
高校や大学の頃は電車通学の際にはひたすら読書をしたし、読み終わったときには帰り道に本屋に立ち寄り、常に「次に読む本」を持っていた。この貪欲さは今ない。
決して前進してないわけではなくて、段階的に、そして年齢的に訪れて然るべき教養の何個目かのハードル・壁なんでしょう。
高校生のときには三条烏丸の大垣書店で押しつぶされそうな感覚を抱いてて、今は同じ場所で何も感じないから、前進してないわけではない、当然のことながら。
もう一回り、成長しないといけない。
(こうして言葉にするとなかなか切実に迫ってくるものがあるな。)
初見の学問や物語が今より刺激的だった若かりし過去。対称的に30歳を過ぎて手持ちの何かでやり過ごすことに終始してる今。
強烈な知識欲は決して取り戻せるものではないという、ほとんど覆しようのない事実に直面している。
どうやって自分に火を付けるか、そして灯し続けるか。2023年のテーマか。
足りないのは危機感か、野望か。
2023年どうする
4月で33歳になる。
年齢基準で1年の節目を捉えることが多く、正月に節目感はない。
何か節目的に始めたこととか、切り替わったことってあったかなと振り返ると、ちょうどこのブログを開始したのが2020年の1月だった。来月で4年目を迎える。
もう3年も書いているのかと思うと、しみじみするものがある。最初はWordpressで始めて、結局色々あってはてなブログに落ち着いた。
何かを始めるきっかけとして悪くないのが年越しだけど、結局継続できるかどうかは本質的に自分が必要としているかどうかにかかってる。
じゃあいま自分が本質的に欲しているのって、何よと。
あと数日、見つからないものを探す作業をしてみる。
たぶんあと1回は投稿すると思うけど、振り返りはこんな感じで。