こんばんは。
年を重ねるにつれて時の流れが早く感じるものです。
「1年/生きてきた年数」
体感する時間の長さがこの値だとすれば、年齢を重ねるにつれてそどんどん小さくなっていく……と。
20歳であれば20分の1なのが、30歳ともなれば30分の1です。
大体1.5倍くらい。
まさに光陰矢の如しですよ。
英語で言うところの
Time flies.
Time waits for no one. (時をかける少女!)ですね。
しかし、Marloweにおいては、
今年一年が早く感じたのか、あるいは何にもなくて「無」に感じて早かったのか。
ここが正直言って定かではありませんが、前者であることを盲信しておきます。
とりあえず、2021年を振り返ってみよう。
鈍感になった
「time waits for no one.」
流れ行く時間に対して、我々は成す術がないものです。
それ故に(?)ついついのんびり日常を生きてしまうものです。
原因は、Marloweの動きが遅すぎることと、日常に刺激がないことだと思います。
「刺激がない」ってのは、そもそも刺激を求めなくなってることと、前まで刺激だったことを刺激だと感じなくなってること、刺激があったとしてもそれが自分を突き動かさなくなってること、などなどを総称してです。
精神的に成熟しきった(悪く言えば成長が止まった)ということでしょうか。
ただちに悪いこととは言えないまでも、
もう少し感受性を取り戻したい2022年です。
──君たちが持つ5本のローソクのうち4本を灯すことはできるかもしれないけど、最後の1本は俺には灯せない。それは自分自身で灯すものなんだ。
と言ったのは、今シーズンの京都サンガF.C.のチョウ監督ですが(いいこと言うよなぁ)
監督のいない私は5本全部自分で灯すしかないので頑張ります。
が、がんばります。。(2本目くらいで挫折しそう)
2021年のハイライトは(結局)サンガが昇格したこと
2021の振り返り。まずはサンガです。
前回の投稿でもしつこいくらいサンガの話題でしたが、結局のところ今年印象に残ってることの85%くらいはサンガがJ1に昇格したことなんです。
もはやこれはハイライトではなく、私Marloweの1年そのものだったような気すらします(85%だからね)。
これからちゃんとJ1に定着して、上位争いができるくらいのチームになれたら素晴らしいなぁと思っています。
サンキューサンガ!(何回目)
サンガが昇格してなかったら1年間が完璧な無に帰すところだった。
今年買って良かったもの
今年はあんまりモノを買わなかった気がします。
趣味やライフワークに広がりがなかったことにも起因するのかな。
服もほとんど買ってないし。
物欲はしんだのか。
とりあえず1位は車です。
これは頻度的に。通勤は車だし。
最近スタッドレスタイヤに履き替えて、乗り味がマイルド過ぎて運転の楽しさが半減してはいるけれど。
馬力ある車乗ったら戻れないって言うけれど、その通りすっかり慣れきってまった。
ただ根本的には、駆け抜ける喜びはこれじゃないと強く思ってるので、いつかBMWかMazdaロードスターあたりを愛車にして、あてもなくハイウェイを突き抜けたいと思っています。
それまで内燃機関が残っているかどうか怪しいですが。
コロナ禍ということで、普段から出不精ですがより一層家にいることが増えて、良い音楽を聴きたいという願望が高まっていたところです。
とはいえ、わずか4畳程度の書斎にいて、ほどほどの音量で聴くに留まるので、このあたりだろう、というコスパ重視の選択です(SC-PMX90)。
PCやテレビ(もっぱら映画鑑賞用)など、音の出るものを全部繋いでます。
ちゃんとCDを買って、アルバム1枚をじっくり聴いたりしてます。
もちろんこうやってブログを書いているときも。
PCからデジタル出力して繋げば高音質で聴けたりと、ちょうど良いスペック。
毎日使うものはそこそこのものを、というモットーで生きてます。
オーディオはこれ以上出しても違いが明確にわかんないような気もしてて。
12月にはボーナスも入って、ストレス発散も兼ねて何か買おうかなーって散々考えた挙げ句、特に何も見つからず。
物欲はやっぱり死んだか、Marloweも落ちぶれたな(大人になったな)と思っていた矢先(そもそも散財して発散するほどのストレスもなかったりするけど)「そういえば万年筆持ってないわ」ということに気づきました。
毎日使うもので、かつ直接手に触れるものって、ちゃんと自分で選ばないといまいちフィットしないものです。
特定のブランドに固執することはあまりないですが、LAMYはすごくフィットする。
筆記具は特に「自分で選んだモデルであり、色である」ということが愛着に変わるもので、ほとんど全部自分で買ったもので揃えてます。
そんなに高価ではないですが、必要にして十分というか、何よりMarloweの手に抜群に馴染むので、筆記具はほとんどLAMY。
年が変わればブログ2周年
こうして1年間を振り返る日記を書くのは2回目です。
1回目は昨年。
引き算、という表現がありました。
2020年は引き算の年だったようで。
2021年は思い返せば、一時期転職をしようとして、しなかったり、仕事を投げ出そうとして、投げ出さなかったり。
いわゆる「外界」とのほどよい距離感を会得して、重荷に感じることはあんまりなかったように思う。
今年は自分の生活から何かを引き算することはなかったなー、という年でした。
まぁ、これも良くも悪くも。
──ところで、最近わかってきたことがあって、
それは(すんごい当たり前のことだから、改めてこうやって書くことに躊躇いもあるけど)人間はよい年になってくると、そもそも足し算も引き算もできなくなってくる(≒変われなくなってくる)てことです。
すでにあるものはこれからもあり続けるし、いま無いものは無いままだし。
足し算も引き算も、自分を変えるという直接的な意思に伴うものだけど、そういうやり方じゃ上手くいかなくなってきます。年を取れば取るほど。
何が言いたいかって言うと、自分の意思を伴わない方法、つまるところ、何か全く別のことにこつこつ取り組むことによってこそ(というかその手段でのみ)間接的に自分を変えることができたりするような気がする。
何の気なしに取り組んでいることだけが、自分を変えることになるではないかと。
Marloweはいま31歳で、4月には32歳です。
もうすでに加齢は「ただ年齢を重ねる」ものであって「能力が増す」ものでは決してなくて。
自分がどんどん凝り固まって、これまた良くも悪くも「深まっていく」ものだと感じます。
ただ生きてるだけで成長する時期が終わって久しい。
2022年はちょっとだけ時の流れよりも早く動いたり、老いの流れに抗って進化しなくちゃなって思ってます。
──でも、それはどうやって?
しーらない。
積もりそう(で積もらない)
さて、2021年も終ります。
昨今の温暖化のせいか何なのかわかりませんが久しく雪が積もらなかったここ数年ですが、今年は積もりそう(で積もらない)。
喪中なので初詣もしないし、テレビも観ないし、年の瀬感は雪が積もることくらいからしか得られないなぁというところですが、どっとは積もってくれなさそう。
Marloweにとっての年越しってのはまぁこんなもんだろうと、そんな感じです。
花が嬉しい年になったのだなぁ
明日になって年を越して、すーっと3ヶ月が終われば32歳です。
別に31も32も変わらんだろうというところですが、31歳の年末にして初めて思うのは、花の贈り物が悪くないなぁというのが生まれて初めてであることです。
これはつまり、老いたということでしょう、きっと。
咲いた花を頂くことで喜ぶよりも、何らかの花を咲かせて人を喜ばせるような2022になれば良いなぁと(言うは易し)思ってます。
それではみなさん、良いお年を。